料理自慢です
個人山行は旨い焼酎を飲む為にテント持参だ、と以前「山の話」で書きました。焼酎の肴には高級食材を持ち込んでました。なーに、値の張る缶詰の類(たぐい)です。
結婚後に渡った喜界島で親しくなった海人(ウミンチュ)の猛さんと哲志さんは給食センターの調理師で、自宅での宴に招き招かれるようになったのですが、本職の料理人に敵(かな)う訳がありません。そこで自宅の鍋料理には隠し味を入れるのを思いつきました。キムチです。三十年前、キムチ鍋は珍しく、私の名をとって「つっちゃん鍋」と島の友人達からは好評でした。その後、浜での宴用に特注で焼き肉用の大きな鉄板を仕入れました。60×100幅で分厚く、一人でやっと持てる位で当時一万円で作って貰ったのです。
K女子高に転任した頃にTVで「料理の鉄人」が始まり、欠かさず見てレシピ本も購入しました。各種調味料をとり揃えイカ飯など試作品を持ち込んでは生徒達に試食して貰ってましたね。その頃、料理自慢がテレビ局の取材をうけて放映された事もあります。取材費の五千円で「きりたんぽ鍋」を作りました。
そうして次のA高校では鉄板での「焼き肉ビビンバ」です。学期の打ち上げにクラスの生徒達を集めて焼き肉ビビンバをふるまいました。
同じ頃、韓国料理にも興味を持ってレシピを集めました。市民運動家上山陸三氏が「日韓親善に寄与する会」を作り、韓国翰林(はんりん)大に一万冊の贈書活動を始められた時、交流会で韓国人達と合わせて三十人程に韓国料理を一人で賄った事もあります。次の夜間定時制高校では体育祭終了の夜、大鍋で全員にキムチ鍋を振る舞った事も。衛生上問題行動だったかもしれませんが、管理職も笑顔で生徒達と一緒に食してました。祭り事が好きな私は文化祭体育祭等の行事が好きでした。生徒の新たな面を発見できるのも楽しいですし実行委員や応援団員に立候補する連中が好きでした。で、鉄板で応援団員に焼き肉ビビンバを振る舞っていました。年末の仕事納めには同僚達にソバを一人で打った事も何校かで。
こんな事もありましたよ。ある高校で事務室が前日に「翌日の弁当はお休みです」との生徒連絡を忘れたのです。弁当無しの生徒達は昼休みに遠方に買いに出なければなりません。事故でもあったら連絡ミスの責任問題です。困っていた事務室に「私が弁当作りますよ」と言って畑から掘ってきた藷で炊き込み弁当を作り校内放送しました「つっちー食堂では弁当を配布しています」と。「戦争中には藷の炊き込み飯は贅沢品でした」のラベルを付けた即席弁当が二十個程捌(さば)けたでしょうか。代金はと問う生徒には、出世払いと答えましたね。
延べ千人を超すだろう試食者達に一度も食あたりを出さなかったのは当然ですが自慢です。現在、食品衛生管理責任者の資格を保有できたのも試食モルモットになってくれた生徒達のおカゲかな、メンゴ!
得意料理はって? それが無しなんですよ。ーー南九州新聞コラム12日掲載
橋ーー写真は「きりたんぽ鍋」です。私の調理ではありません( ´艸`)。