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俳句弾圧不忘の碑


第二次世界大戦中、反戦の句を詠んだ俳人らが検挙・投獄された「新興俳句弾圧事件」を語り継ぐ石碑が長野県上田市に完成し、二十五日に除幕式がある。建立の筆頭呼び掛け人は、二十日に九十八歳で亡くなった金子兜太さん。戦争を身をもって体験し、国家が「表現の自由」を奪う恐ろしさを訴え続けた俳人の“忘れ形見”だ。 (川原田喜子)

 碑は、戦没した画学生らの絵を展示する「無言館」の敷地内に立つ。「俳句弾圧不忘(ふぼう)の碑 兜太」と、力強い金子さんの字が刻まれた。その建立へ金子さんと尽力したのが、フランス出身の俳人マブソン青眼(本名マブソン・ローラン)さん(49)=長野市=だ。

 来日して俳句を研究していた二十年前に金子さんと知り会い、すぐ金子さん主宰の俳誌『海程』の同人になった。二〇一五年に対談した時に俳句弾圧事件が話題となり、「有志で記念碑を建てよう」と決めた。

 全国の俳人ら五百七十一人から三百万円あまりが集まり、碑とともに、弾圧を受けた俳人の作品などを展示する「檻(おり)の俳句館」と、訪れた人が投句できるポストも併せて設けた。「無言館」の館主で作家の窪島誠一郎さん(76)も金子さんと親交があり、マブソンさんが建立場所として提案すると、金子さんは「無言館なら大賛成だ」と喜んだという。

 昨夏に体調を崩しても「除幕式は絶対に出ます」と言い続けた金子さん。マブソンさんと窪島さんは、車いすで参加できるようスロープを設けて待った。

 金子さんが今日の世相を「表現の自由が弾圧された戦前と似ている」と嘆いていたのを忘れないマブソンさん。「その思いを碑と一緒に引き継いで訴えていきたい。ここが金子先生とつながることができる場所になってほしい」と願う。

 除幕式は二十五日午後一時から。申し込み不要で参加できる。「檻の俳句館」も同日開館する。

<新興俳句弾圧事件> 戦時中の1940~43年、戦争や軍国主義を批判・風刺し、反体制的な句を作った俳人ら44人が、治安維持法違反容疑で検挙され、13人が懲役刑となった。対象とされた句では「戦争が廊下の奥に立つてゐた」(渡辺白泉)などが名高い。

「平和を希求、心ひとつ」

 金子兜太さんの死去を受け、日本文学研究者のドナルド・キーンさん(95)が21日、コメントを寄せた。コメントは次の通り。

 金子兜太さんの訃報を知った時、とてもさみしく感じました。私は、金子さんの人柄と業績を心から尊敬していました。

 金子さんは、俳人として、長い俳句の歴史の中で新しい道を切り開き、大きな業績を残しました。初めて会ったのは30年以上前でしたが、その時から親しみを感じました。私たちは、敵と味方でしたが、同じ時期に戦争を体験しました。金子さんの体験は実にひどいものでした。私たちは戦争がいかに無意味なものであるかを語り合い、平和を希求することにおいて心はひとつでした。

             東京新聞2/22より転載

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