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芥川賞「おらはおらで」感想


[if !supportLists]① [endif]「おらはおらで一人で行くも」〈若竹千佐子作〉読後感です

[if !supportLists]② [endif]作者は夫を亡くした独居女性で物語上では74歳の主人公にしているが、実年齢は十歳下である。何故そうしたか。理由は「おら」を使っていた幼児が初めて「私」の語に出合うのが小1とする設定である。74歳とすれば小1までテレビに接していない、設定になるからである

[if !supportLists]③ [endif]夫の死は絶望だった。が喜んでいる自分も見つけ、悲しみの中にみつけた豊穣なもの、それが執筆動機とインタビューで作者の答えは、本心だと観る。よって本作のテーマは孤独老人の痛みと喜びの「おばあさんの哲学」となる。わかりやすい

[if !supportLists]④ [endif]同じくいんたびゅーで河合心理学に影響を四十代にうけた、と語っている。なら、思弁の中に深層心理にユング心理学の集合意識が出てくるのは自明だろう。自分の物語論も理解できる

[if !supportLists]⑤ [endif]内容の批評に入る。

❶東北弁はいい。のほほんとしてきつさを感じない。東北弁を「最古層のおら」とする。「私は」着飾った上っ面のおら、だそうな。だがこの「おら」と「私」の相克はどこにもない

❷作品中、主体を「おらは」と「桃子さんは」と二つにする。主体としてと客体としての書き方はズルイ、が上手い

❸「あの時、夫の死という絶望の壁」をみて、私はべつの人になった。――頷ける

❹事件らしい出来事は一件。お金貸してとの娘の電話に拒否し、隔絶が生じる。兄には240万の融通しながら〈詐欺被害なのだが〉、娘には金をだせないなんてとなじられるのだ。それに「息子の生の空虚を作った責任と思うから金を差し出すのだ」と自己弁明論を立てるのだが、娘は納得いかないだろう。よってラストは娘の訪問で無く孫の訪問と言う和解の予兆でしかない。

❺「夜行列車」でみた酒好きのおじさん。呑む一連の作業を丁寧に正確に繰り返すのを見て、他人から見て無駄無意味も本人が夢中になれるのなら本当に幸せなのだーー当たり前。主人公が「人間観察」が好きな事が読み取れる。しかし、人間観察の好きな人って一体好かれる?

❻夫となる人と出会ったよろこび。だが「人の為に生きるのは苦しいす」「二人羽織はどっちも苦しい」――作者のホンネとしてよめる。作者は脳梗塞の突然死で夫を失っている。看病体験はと問うのは酷かな。

❼夫が死んで「目に見えない世界」の存在をしんじるようになった。おらおらで、ひとりいぐも。――夫に待っててねと決して言わない強さ。ひとりでいぐも

❽桃子さんは「つくづく意味を捜したい人なのだ」「周造はおらを一人生かせるために死んだ。それが、周造の死でおらが見つけた意味なのだす」――スピリチュアルを理解する者にとっては当然の論理!

❾カラスウリをみて笑った。笑えるという事は意欲だ。八角山に自分を重ねてみる。八角山はおらだ、お前はオレを見守る。おらはおらの人生を引き受ける。我、大元でおめに委ねるーー理解できる。

➓ラストの「春の匂いだよ」の孫の言葉も意欲的でいい。娘は来なかったが、孫の来訪には娘の同意もあったのだろうという思わせ方で良

番外1――言葉の不適当と思われる使い方が十か所ほど見受けました。初見で柿の種をおじさんが「きっかりと」取り出すなど。きっかりは初見ででることばではない。比喩が安易「わっと泣き出す」「赤子のように泣き出す」「規則的な靴音が心地よいーー自分の足音を規則的とおもうかね」などなど。

番外2――選者の小川氏「46億年の歴史など超越したばしょにいる桃子さんを見てみたかった」。それは「無いものねだりです。桃子さんは時空を超越したスピリチュアルにイケてないですから。何より亡夫との交信すらないのですから」

橋ーー勝手な感想を書きました。こんだけ書くという事は刺激を貰った、という事です

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