安倍を糾すー江川紹子の論
総選挙後、早くも国会軽視の安倍政権に批判続々…政治家は、内閣と国会の関係を正せ 文=江川紹子/ジャーナリスト 「国難」「排除」「リセット」「草の根からの政治」……今回の衆議院総選挙を巡って、さまざまな言葉が飛び交った。その中で、私がもっとも衝撃を受けたのが、これだ。 「どんな手段を使っても、安倍政権を終わらせる」 安倍首相が衆議院の解散を発表した後、前原誠司・民進党代表が同党常任幹事会で述べた発言の一部だ。 国民にとっての「国難」
目的のためには手段を選ばない。これは、カルトやマフィア、あるいは独裁者が支配する国が好む手法である。まっとうな組織がとるべきやり方ではない。 これを聞いた時に、私は「これはダメだ」と思った。それなのに、同党の中でさほどの反対もないまま前原氏の提案が同意されてしまったのに驚いた。 目的が重要であればあるほど、手段は選ばなければならない。手段が大胆であればあるほど、その準備は周到に行わなければならない。こんな当たり前のことがわからないほど、選挙は政治家たちの理性や判断力を狂わせるのだろうか。 もっともこの選挙自体が、仕掛けたほうは口には出さないが「どんな手段を使っても、安倍政権を続ける」ために行われたものであろうから、「目的のためには手段を選ばない」発想は今の政界では特異といえないのかもしれない。日本の政治が、まっとうでなくなっていることを、あらためて見せつけられた思いでいる。これ自体が、まさに「国難」ではないか。 選挙後、「国難」はさらに拡大している。 安倍内閣は衆議院総選挙後の特別国会を当初、所信表明や代表質問などを行わないまま閉じ、年内に臨時国会も行わない方針を出して野党やマスコミに批判された。 安倍首相は、衆議院解散を発表する記者会見でこう語っていた。 「この解散は、国難突破解散であります。急速に進む少子高齢化を克服し、我が国の未来を開く。北朝鮮の脅威に対して、国民の命と平和な暮らしを守り抜く。この国難とも呼ぶべき問題を、私は全身全霊を傾け、国民の皆様と共に突破していく決意であります」 衆議院を解散することが、なぜ「国難突破」になるのかという疑問はさておき、その決意が本物なら、選挙後にはむしろ首相のほうから、この2つの「国難」にどのように取り組んでいくかを語り、さまざまな角度からの質問を受け、議論をしていこうとなるはずだ。 ところが、それを避けようとする。森友・加計問題を聞かれる場から逃避したいという思いが、「国難」に取り組む意欲を上回っているということだろうか。 「謙虚」とは似ても似つかぬ「傲慢」
しかも、国会での与党の質問時間を長くすべきという声が自民党内から出て、安倍首相は与野党の時間配分の見直しに取り組むよう指示した、という。総選挙投開票の翌日、「今まで以上に謙虚な姿勢で真摯な政権運営に努める」と述べた。他の閣僚からも、口々に「謙虚」という言葉が発せられた。その舌の根も乾かぬうちに、これである。 政府から提出される法案は、事前に与党に提示され、政府からの説明や議論がなされている。国会への提出は、そうした議論を反映したうえで出されている。そのため、国会では野党の質問に多くの時間を配分するのが慣例だ。 問い質したいことは、野党に多いのは当たり前。昨年11月に衆議院内閣委員会で行われたカジノ解禁を決める「統合型リゾート(IR)整備推進法案」の審議では、自民党議員が持ち時間を余らせ、般若心経を唱えて解説を行ったり、夏目漱石に関する持論をぶったりと、まったく関係のない話をだらだら続けて時間を消費した。 また、国会が政府をチェックして三権分立を機能させるうえでも、野党に多くの時間を配分させるのは理にかなっている。
与党の質問時間を長くしろと騒ぎ出したのは、やたら不祥事の多い“魔の3回生”とのこと。単に不祥事をやらかす者が多いだけでなく、5年近くも国会議員をやっていて、まったく国会の意味がわかっていないらしい。それに首相をはじめとする政権幹部がホイホイ乗ろうとしていることに、あきれる。国会を、与党議員による首相賛美の場にしてどうするのか。 かつて麻生政権時代の質問時間は「与党4割、野党6割」だったが、民主党政権時代に、野党となった自民党の要求もあり、一時「与党1割、野党9割」となり、「与党2割、野党8割」の配分で第2次安倍政権以降も続いていた。 それにもかかわらず、巨大与党となった自民党が、今度は野党の質問時間を奪おうという動きが出たことは、「謙虚」とは似ても似つかぬ「傲慢」である。 こうした態度を見るにつけ、安倍首相や自民党は、もはや「国権の最高機関」である国会を、政権が押し進めたい事柄を追認するための機関としか見ていないと言わざるをえない。 「国難」ここに極まれり、である。 国会を軽視し続ける安倍政権
安倍政権の国会軽視の具体例としては、2度にわたる野党の臨時国会の要求無視がある。 1度目は一昨年。2015年10月21日に、民主、維新、共産、社民、生活の5党が環太平洋連携協定(TPP)締結交渉の大筋合意をめぐる審議や、内閣改造による10人の新閣僚の所信聴取を行うべきとして、臨時国会の召集を求める文書を衆議院議長に提出した。だが、政府・与党は首相の外交日程などを理由に拒否。衆参両院の予算委員会の閉会中審査を1日ずつ行っただけだった。 2度目が今年で、6月22日に民進、共産、自由、社民の野党4党が、衆参両院副議長を通じて臨時国会を要求。しかし政府・与党は、やはり閉会中審査を開くだけで、臨時国会の召集には応じなかった。そして、9月25日にようやく開いた臨時国会では、所信表明や代表質問を行うこともなく、冒頭で衆議院を解散した。 憲法53条には、こう書かれている。 「内閣は、国会の臨時会の召集を決定することができる。いづれかの議院の総議員の四分の一以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない」 国会の召集権は、実質的には内閣にある。しかし憲法学の教科書は、この規程は「少数派の意向を尊重するため」に設けられたとして、次のように説明している。 「したがって、臨時会の召集要求があった場合、内閣が議案の準備が整っていないとか、その他政治的な理由で召集を不当に延期することは、制度の趣旨に反するであろう」(芦部信喜『憲法』) 安倍政権の対応が、憲法の趣旨に反することは、明らかではないか
.総選挙後、早くも国会軽視の安倍政権に批判続々…政治家は、内閣と国会の関係を正せ文=江川紹子/ジャーナリスト【この記事のキーワード】江川紹子, 自民党, 選挙 憲法には、「要求」から「召集」までの期限は書いていない。では、どれくらいの期間のうちに召集するのが妥当か。 それについては、自民党自身が作成した「憲法改正草案」の中に答えをみつけることができる。同草案は、53条後段を次のように改正することを提案している。「いずれかの議院の総議員の四分の一以上の要求があったときは、要求があった日から二十日以内に臨時国会が召集されなければならない」 20日という期限は、多くの人が納得する妥当なものではないか。同党作成の「日本国憲法改正草案Q&A」では、改正の意図を以下のように説明している。「党内議論の中では、「少数会派の乱用が心配ではないか」との意見もありましたが、「臨時国会の召集要求権を少数者の権利として定めた以上、きちんと召集されるのは当然である」という意見が、大勢でした」 民主党政権となって、自民党が野党となった時期の議論だけに、「少数者の権利」の大切さを感じていたのだろう。現政権の対応は、当時の議論を忘れ、巨大与党となったおごりがなせるものと言うほかない。 「きちんと召集されるのは当然である」のに、安倍政権はそれを行っていない。こういう憲法をないがしろにした脱法行為が平然と行われること自体は、なんとかしなければならない。 自民党自身が20日以内で「きちんと召集される」ことの大切さを明記しているのである。これは、与野党で広く合意できる事項だろう。憲法改正の論議をするなら、まず53条からすればよい。 あるいは、もっと早く、現実的に政府のこのような横暴をただすには、国会法を改正するという道があるだろう。国会法には、次のような規程がある。〈第3条 臨時会の召集の決定を要求するには、いずれかの議院の総議員の四分の一以上の議員が連名で、議長を経由して内閣に要求書を提出しなければならない。〉 ここに、「内閣は、要求書が提出されてから、20日以内に臨時国会を召集しなければならない」という趣旨の一文を付け加えればよいだろう。 現政権がこうした法改正を自発的にするとは考えにくい。まっとうな自民党員を含め、広く超党派で議員立法として提出したらどうか。「自己都合」での解散を防ぐために もうひとつ、内閣の「解散権」についても考えたい。憲法には、不信任決議が可決(もしくは信任決議が否決)した場合に、衆議院の解散もしくは総辞職をしなければならないという規程を除いて、どういう場合に衆議院を可決できるか、書いていない。第7条に、「内閣の助言と承認」で行う天皇の国事行為のひとつとして、「衆議院の解散」が記されているだけだ。 この7条を根拠に、本来は4年の任期を国民から負託されている衆院議員を、内閣(現実には首相)の一存で全員クビにできる、という強権を認めることが、果たして適切なのだろうか。少なくとも、国民に信を問うにふさわしい理由や、多くの人が納得する事情が必要だろう。 たとえば、小泉政権時の「郵政解散」。政府が提出した郵政民営化法案は、衆議院で少なからぬ与党議員が「反対」もしくは棄権したが、僅差で可決。ところが、参議院では「反対」票が多く、法案は否決された。すると、小泉首相は衆議院を解散し、造反議員は公認せずに「刺客」を送って排除を狙うという形で選挙を行った。 参議院で否決されたのに、衆議院を解散するという分かりにくさもあり、小泉政権の対応は、解散権の濫用ではないかとの批判もあった。憲法学者の間でも違憲か合憲か評価が分かれている。 それでも、この時には郵政民営化法案の是非と小泉政権の手法など、政策や政権運営についての判断を主権者である国民に問うという、民主的な動機があった。 今回の安倍首相による解散はどうか。 少子高齢化や北朝鮮問題を挙げた安倍首相の説明に納得した人はきわめて少ない。そもそも、この2つの「国難」への対応が急務であるとするなら、解散ではなく、臨時国会の開催になるはずだ。
新聞各社の世論調査で「評価しない」と答えた人は、以下の通り。 朝日 70% 読売 65% 毎日 64% 共同通信 64% 国民の多くが、森友・加計問題を追及されるのを嫌った首相個人の「自己都合」による解散であると感じている。あるいは、民進党の離党続出や小池都知事らが新党準備を進める前の時期を狙った、党利党略による解散だと見抜いている。 今回の解散について批判的な意見に対して、「2012年の野田政権を批判しないで安倍首相の解散を批判するのはおかしい」というような見解を述べている識者もいた。 しかし、野田政権による衆議院解散は、野田首相(当時)の「自己都合」ではなく、党利党略とも違う。野田政権が最大のテーマとしていた消費税増税を含めた「社会保障と税の一体改革」について、与党(民主党)と自民党、公明党の3党首による協議が行われ、そこで野田氏が「関連法案が成立した後、近いうちに国民の信を問う」と発言。それを受けて、自民党が強く解散を求めた。2012年9月に自民党総裁に返り咲いた安倍氏は、国会でも代表質問と党首討論で強く衆議院の解散を求めている。 この解散による総選挙で民主党は惨敗し、再び自民党と公明党が政権についた。まさに民主党政権の施政を問うための、実に民主主義の要請に沿った解散と言えるだろう。 日本と同じ議院内閣制をとるイギリスでは、かつては首相の解散権を認めていたが、法律によって縛りをかけた。解散には下院の3分の2以上の賛成が必要となり、与党だけでなく、一定のコンセンサスを求められることになった。 今年4月、メイ首相が下院解散を発表し、6月に選挙が行われたが、この判断は賛成522票、反対13票と下院が全会一致に近い形で指示されている。 衆議院の解散は、国民の審判を求めるという民主的な手続きを引き出す行為ではあるが、今回のような「自己都合」での解散を防ぐためには、何らかのルール作りが必要ではないか。それには憲法改正が必要なのか、それとも国会法の改正で可能なのか、まずはそこから議論を始めてもらいたい。 (文=江川紹子/ジャーナリスト)
橋評ーー江川さんの講演を聴きに行ったことがあります。本論を含めて信用たる人と思っています