「今 何ができるか」--全作家掲載随筆
「全作家」今秋号に小生のエッセーが掲載される予定となりました。一部掲載します
(前略)嶋津治夫さんの「ひとりになって」の詩には胸が痛んだ。氏とは総会で一回だけ短い挨拶をさせて貰った限りだが、小生も三年前に伴侶を喪い、同様の境遇になったからである。独り暮らしになった後、様々な励ましを戴いたが、一番の支えになったのは次の言葉である。「もし、先に逝くのが自分だったと置き換えてみたらどうなる。残された奥さんの悲しみが解るか。強いお前が残って奥さんの悲しみを引き受ける約束を二人で決めて、今世に転生してきたんだぞ」と。それから私は、輪廻転生論を今まで以上に深く信ずるようになった。
さて独り暮らしの生活は、面倒さはあるが気苦労はないと言っていい。商売柄、セラピー依頼の電話は来るが気乗りがしない時は出なければすむ。こちらの気分も、すべて「神の思し召し」と思ってもらおう。と、の達観に至ったかというと、さにあらず。昨今の国内外情勢には腸の煮えくり返る思いにさえなっている。余命幾ばくかなれば静かに世を去るかとの思いも湧くが、若い世代に安心な社会を残していく、その為に先達はできることをやる、それが責務だとの思いが日々に強くなってきた。あまつさえ、自作には政治批判を展開し、セラピー相談者との面談では「殺したくなるのです」との愁訴に「わかります」との殺人教唆にもとられかねないテープ録音も許可している身上。目の先に共謀罪適用のオナワがちらついているのも同然ではないか。かといって、かねて電話すら遠ざけていれば、この胸の思いを受け止めてくれる都合のいい友人がいるわけでもない。
そこで直截マスコミに訴える事にした。再軍備を進める輩に「ペンは剣より強し」の金言を思い知らさねばなるまい。新聞世論欄に投稿することにした。かつて聞いたマスコミ訓、「一人の意見の背後には百人の同調者がいると思え」が今もあるか知らないが、座して死すわけにはいかない。郷土紙に投稿を始めた。五百字論を書くのに資料集めから始めると一本書くのに一日かかる。不正確な資料を用いようものなら信用を落とす、よって論文を書くのと同じく真剣である。社説より格調高いと自負している論文を送りつけているのに採用は今のところ二本、「総理が憲法改正促進を主張するのは憲法違反である」と「ゲバラ父子の広島訪問」のみである。友人に言わせると「難しい論調ものばかり」だそうである。確かに掲載文を見れば、やれ道路事情とか日常身辺ものが多い。不採用にクレームを言うつもりもなく、別の戦術をも併用することにした。直截、新聞社へ電話をかけるのである。報道部、社会部、論説委、文化部、写真部、地域局等問わない。「あの記事はよかった」とか、「共謀罪の問題点はもっと紙面を使って大きく取り上げよ、読者の半分はよく理解できないと言ってるではないか」など。担当者が若き娘と思われる場合は優しい物言いをするのは当然、泣かすつもりもないし。
何人かの記者とは仲良くなって意見交換をするようになった。「厳しいご意見も」と重宝がられこそすれど、厄介者扱いされた事はない。報道の自由度が世界七十二位にまで落ち込み、政財界からの軋轢に記者さんが苦心している事は承知の上で、彼らを励まし育てねばならないと思うに至った。あたかも元教師であり営農指導に努めた宮沢賢治気取りである。「見回りこそ肥やし」つまり作物を育てるには水や肥料の補助に丹念な見回りが必要とね。気取るなとの声がきこえそうですが、気取るどころかなりふり構っちゃおられません。先だって加計学園問題で文科省から関係文書が告発されようとした矢先、副大臣が秘密漏洩で罰するような恫喝をした時には彼の事務所にファツクスを送りつけましたね。「仲間を守らんかい、ヤンキー魂はどこに捨てたんだ、元教師より」と。
情報はフェイスブックからです。多くの志を一緒にする仲間から「いいね」のサインを貰うたびに「一人ではない」の思いを強くしています。最近、脳の活性化を自覚するようになり、怒りの投稿は「老い予防」にいいのではとも確信しているところです。加えて私の職業は「ヒプノセラピスト」と投稿では紹介され、宣伝にもなってオイシイ話である。
文末になり恐縮ですが、全作家の仲間の皆さんのご健康を祈りつつ檄を送らせてもらいます。「戦いは今から 戦いはここから」ですゾ。