日本ペンと私
日本ペンクラブのこと 1300
創作「邯鄲〈かんたん〉の夢」を終えたので、また「三丁目の夕日」を題材にした(昭和三十年代追想)を復活させることとしたい。連載最後は、ひと月前(キューバ危機)を書かせて貰ったのであるが、紙幅の関係上短文で紹介したので、筆者として消化不良感が残っていた。そこで、再度取り上げたい。
(キューバ危機)とは、1968年十月、米国近くのキューバの要請でソ連は同盟国キューバにミサイル基地を建設すべく、資材を海上輸送する。反発した米国が海上を封鎖し、米ソ両軍が臨戦態勢に入り、緊張の日日は、(世界を震撼させた十日間)と後に呼ばれて世界中が第三次大戦勃発かと震撼した史実である。実は、五年前の日本ペンの会報437号に、キューバ危機を巡っての統治のケネディ米国大統領の対応の記述があったので紹介したい。引用は、日本ペンの「平和祈念」行事の一環として、宮崎県延岡市で行われた、平和リレー対談の中から、映画監督山本晋也氏のトークからである。氏は次のように語っている。その時、米国のタカ派の殆どがソ連にミサイルを打ちこめと主張していた。ケネディの元にやって来た空軍参謀総長のカーチス・ルメイはケネディに、「すぐやりましょう、用意はできています」と進言する。ルメイの顔をじっと見ていたケネディは、たてだ頷いた後、ルメイに部屋から出て行けという合図をして、翌日彼を解任するという顛末で、こうして、第三次大戦は危機一髪のところで回避されたという話である。筆者の調べたところによると、ルメイはアジア太平洋戦争時において、東京大空襲や広島長崎原爆投下の指揮官である。軍人でない一般国民の殺戮は明白な国際法違反である。しかし、彼は戦後、日本国民の大量殺戮によって米国人の命が救われたのだ、と公言していたそうな。その彼は1964年、佐藤内閣によって(勲一等旭日大授章)の栄誉にあずかっている。航空自衛隊育成に協力したという理由からだった。被爆者など国民感情から批判の声が多く上がったが佐藤内閣は授賞を強行している。
話し変わって、第一次大戦の悲惨な戦争が繰り返されないことを願い、作家・文筆家の表現の自由を確立し国境を超えた相互理解と連帯を図るという主旨の下に生まれたのが国際ペンクラブで
今年は国際ペン創設100周年に当たる。なお、我が国の国際連盟脱退に対して、国際ペンからの創設呼びかけに連帯する形で1935生まれたのが日本ペンクラブで、島崎藤村が初代会長を務めた。
国際ペン創設100年を記念して「ペンと私」という題で会員に二百字短文を書くよう要請があり、今夏書いた拙文が「クレイマーのバタフライ効果」という以下の文である。暑さ厳しき折に厚顔ながらご披露する。
〈地域紙で週一コラムを執筆している一方、権力監視を捨てたマスコミには不満。で、大層ながらマスコミ監視を自己使命とし各社に勝手な投稿や電話を送り続けている。ペンの姿勢も参考とし、表明意見には事務局に賛意電話している。声明の新聞報道に不満時は、発信元の共同通信に伝えよと迄する私クレイマーの理念は、蝶の羽ばたきですら遠くで竜巻をも起こしうるというバタフライ効果なる理論である。今後のペン活動に期待する〉ーー近日、南九州新聞コラムに発表予定です
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