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哲人論・ベーコン


先のデカルトは「大陸合理論」の始祖とされ、比して、F・ベーコンは「イギリス経験論」の始祖とされる。デカルトが「我思う故に我あり」の語を残したように、ベーコンは「知〈知識〉は力なり」の語で有名である。正式の名はフランシスコ・ベーコンである。

 さて、デカルトが「真理」の探究には「理性」が重要としたのに対し、ベーコンは「真理」の探究に重要なのは「経験」である、とした。自然科学的実験の手法が大切と考えていた彼は、鶏の冷凍法の実証の為に、寒い日に戸外で鶏に雪を詰める試みをやり、風邪から肺炎を引き起こし物故した事でも知られている。

 それでは彼の「真理」の探究法であるが。人は物事を判断する時に、先入観や独断に囚われていて見ていないだろうか。そうであるなら「真理」にはたどり着けないとした。我々の目を曇らす先入観や独断を彼は「イドラ」と名付け。四つのイドラが顕著であると考えた。

 ①「種族」のイドラーー人間という種族の感性を正しいとするもので、誤りである。例えば人間の感覚では超音波をとらえられないが、他の動物には存在するものである。虹の色も人間は七色しか見えないが、他の動物にとってはそれ以上存在しているかも知れないのである。〈人間〉という種族の判断を絶対視するのは誤りだ。

②「洞窟」のイドラーー「個人」の成育環境などから生まれる思い込み。洞窟の中からは、広い視野に立った世界は見えにくい。個人の思い込みが強いと「自分がこう思うのだから、みんなそう思ってるに違いない」と視野の狭い判断をしがちである。

 ③「市場〈しじょう〉」のイドラーー町の商店街は多くの人で溢れ。風評〈誤った噂〉も飛び交っている。それらを安易に信じるのは危険、とした。風評の原因は言葉の不適切な使用からだ、と指摘した 

④「劇場」のイドラーー劇場で見る、良くできた芝居は本当にあった事のように信じられる。同様に、有名人が出るコマーシャルも効果ありそうと思える。だが、権威や伝統を無批判に信じる事は「真理」から遠ざかる、とした。

 先日の本コラムで美川放鳥氏が「何も考えずに権威を敬うことは真実に対する最大の敵」としたアインシュタインの語を引用されていたが、まさに同様である。〈お断わりですーー同文中、筆者に対して過分のオホメ言葉を頂戴して「木にも登る」気になりましたよ。ホラよく言う「豚もおだてりゃ木に登る」というアレです。立派な社会活動をやっておられる美川様、小生に関しては完全な見誤りですよ。しかしながら、豚は豚でも五輪豚〈ゴリンピッグ〉に引っ掛けて、渡辺直美さんを豚扱いする企画は許せませんね。

 ベーコンに戻ります。四つのイドラを排して、曇りなき目で、真理に辿り着く方法を彼は「帰納〈きのう〉」法として定立するのです。一つの結論〈真理〉を導くには、その事に関する多くの事例を集める事だ。例えば〇〇さんについてとする。彼は何でも一所懸命にやる。約束は破らない、誰にも公平、誠実だ。有言実行する、など多くの事実を集めて「○○さんは努力家だ」と導いた結論は正しいと言えるだろう。このように、多くの事実を集めて一つの真理に導く方法を「帰納法」と名付けたのである。

 ーー南九州新聞コラム掲載済み

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