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処凛とニコル

〇雨宮処凛〈あまみやかりん〉氏。北海道出身。社会評論家として「週刊金曜日」の編集委員や社民党機関紙「月刊社民」などに寄稿している。筆者から見れば、リベラル〈中立〉もしくは左派に属すると思うのだが、若い時はバリバリの行動右翼だったというから面白い。面白いと言ったら彼女に叱られるかも。理由は壮絶な自伝「生き地獄天国」に書かれている。そこからの紹介。幼少時からアトピー性皮膚炎に悩み、それが原因で思春期いじめ不登校家出自殺未遂の経験をもち、10代後半にはビジュアル系バンドの追っかけをくり返した。受験では美大を2浪するも、浪人中のアルバイトで解雇が連続、そこから自暴自棄になり自殺未遂をも経験した。精神科で治療を受けているうち右翼団体と知り合い、街宣などの行動右翼となり、ファッションから〈ミニスカ右翼〉と呼ばれた。だが、憲法を読んでから、今の右翼には皇室への敬意がないと思うようになり、また、「生きづらさ」の原因の一つに新自由主義の拡大があると考えるようになり、自ら「左傾化した」と表明している。貧困問題に関わる中で、プレカリアート〈新語。不安定労働者〉の救済を主題とするようになっている。そんな彼女の、「行動すれば何かが変わるの。貧困ならば今反撃に立とう」を元気の出る言葉として締めたい。

〇 C.W.ニコル氏。四十年英国生まれの環境保護活動家。95年、日本国籍を取得、屋久島環境文化財団特別顧などを務めたり、多くの活動をしていたが惜しくも去る四月に79歳で永眠した。複雑な家庭環境に育ち、少年時は身体も貧弱だった為、いじめの対象だった。その事から学習障害に陥った彼だったが、祖父は慈愛をもって接してくれ、影響を受けて自然と触れる事を好むようになった。一方、成長するにつれ、柔道や空手など格闘技に関心を示して学んだ。用心棒やプロレスラーのバイトをしている時、北極越冬隊に選ばれたのが転機となる。カナダ国籍を取得した後、75年、35歳で沖縄国際海洋博覧会のカナダ館副館長として来日する。3年後、カナダ政府の官職をやめて再来日。捕鯨の物語を書く為に和歌山太地町に1年余生活した。ここでの体験から、太地の鯨取りの猟師が海での遭難からカナダに渡り子供たちも海に生きる男となる小説『勇魚(いさな)』が生まれる。家庭を築き、小説や講演で生計が立つようになった頃、彼は日本の森林破壊を憂い、長野県黒姫山に住んで里山を取得していった。「アファンの森」と名付けたその場所は自分の死後は大好きな日本に返すつもりだったそうだ。大地にすんだ体験ある彼は「日本の食文化・漁業文化・生活文化を守る必要性から」捕鯨推進論者でグリーンピースと対峙した時もあったが、日本の沿岸捕鯨に関するデータは信憑性に欠けると疑問を呈していたそうである。最後に彼の元気の出る言葉として「人生とは偉大な終りのない曼荼羅〈マンダラー仏教で示す宇宙全体図〉のようなもの、で、貴方はその一部なのです。みんな繋がっていて、不必要な存在などいませんよ」でまとめたい。ーー7日。南九州新聞コラム掲載

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