元気の出る言葉・瀬戸内寂静
98歳の女流作家兼天台宗僧侶でもある。が、今も酒と肉食を好むに象徴されるが如く、その人生は波乱に富んでいる。22年徳島生まれ、東京女子大学在学中の43年に21歳で見合い結婚し翌年に女の子を出産、その後夫の任地中国北京に同行、同地で敗戦を迎える。神風は最後まで吹かず、「信じられたものに裏切られた。殺される他ない」と誰もが青ざめていた時、彼女を救ってくれたのは神風でなく、同胞でもなく、中国人の朋友(ほうゆう。友達)だったという。そこから「私は日本より中国人を信じる」との信念が生まれる。そして、「皆のやる通りやれば大丈夫なんて大嘘。自分で触り、感じたものだけを信じよう」と思い込むに至る。46年に帰国し、夫の教え子と不倫し、夫と3歳の長女を残し家を出て京都で生活する。「恋愛は落雷に遭うのと同じなんです。不倫も命懸けなら純愛といえます」が彼女の恋愛観となる。父からは「人でなしだ」と勘当を告げられ、一緒になった恋人とは間もなく別れる事となる。出版社に入り、必死で働いたが極貧の生活だった。同人誌に加わり文学修行を始めた中で、前衛作家小田仁次郎氏と知り合って一緒に暮らすようになる。だが彼には妻子がいた。不倫である。八年の交際が続く中、56年、新潮同人雑誌賞を受賞、翌年受賞第一作として発表したのがポルノ作品として話題となった「花心(かしん)」である。内容は「エロで、文壇に媚びている」と文芸評論家達から猛列なバッシングを受けるのである。しかし彼女はそれらに反撃に出た「評論家はみんなイ〇ポなのか」と。それで五年ほど干されるのだが、自分ではその事を苦労だとは思わなかったという。人生には何をやっても上手くいかない「女時(めどき)」と、逆に何もかも上手くいく「男時(おどき)」というものがあって、今は女時だと達観していたかのように。その時立たされた立場で一生懸命生きるしかない、との考えを仏教で「切に生きる」という。小田氏と別れ、彼女が仏門に入ったのは73年である。それより十年前に小説「田村俊子」で文壇に復帰した後、多くの作品を世に出している。氏の原作になる「花芯」や「夏の終り」は映画化されていてユーチューブで見ることができます。社会活動も多く、湾岸戦争や9.11以降のアフガン攻撃に戦争反対表明を出したり、脱原発のストや、死刑制度反対運動にも参加したりしている。「生きるには笑う事が大切」が持論で、座右の銘は「生きることは愛すること」だとする彼女からの〈元気の出る言葉〉を最後に二つ紹介したい。一つは「絶望とは、自分が絶望だと思った時が絶望なの」。もう一つは、「若き日にバラを摘め。血が出ても舐めれば治るんだから。若い時こそ何でも挑戦しなさい」である。「若き日にバラを摘め」は筆者自身が好きな言葉である。好きな理由は、「若き日」が遠くに行ってしまった、と自覚・後悔してるからに他ならない。ーー南九州新聞コラム掲載済み
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