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元気のでる言葉・柳美里



 柳美里〈ゆうみり〉氏。芥川賞作家。自分としては嫌いな作家であっても作品は五冊以上読む。小林よしのり、百田尚樹、柳美里も。柳美里を嫌いな理由は「石に泳ぐ魚」でモデルの女性のプライバシーを暴きながら、自分の子の父親は隠し続けた事だ。「石に」で被害女性が美里氏を訴えた時、原告女性側にはノーベル賞作家大江氏が立った事も知られている。そんな経緯のある美里氏だが、筆者は最近好感を持ち始めている。よしのり氏も同様。

 柳美里は在日韓国人である。ミリの呼び名は日韓どちらでも通用するようにと祖父がつけたという。その祖父孫基禎はベルリン五輪マラソン優勝者で、40年、幻の東京五輪の出走予定者だった。ベルリンマラソン時、朝鮮半島は日本の植民地だった故、孫氏は日の丸ゼッケンで走ったが、「東亜日報」は日の丸を消した優勝写真を掲載した為、朝鮮総督府長の怒りを買ったという。ベルリン五輪の70年記念に建てられた孫氏の銅像はソウルの五輪スタジアムにあるが、胸には韓国国旗をつけている。祖父の話を「8月のはて」で書いた美里氏は自身もランナーで、彼女のブログにはよくランの話が出てくる。

 話しを戻す。美里氏の両親は韓国から戻ると横浜に住み、父はパチンコ店の釘師、母は自家製キムチを売って生業を立てる。が、間もなく父はギャンブラーとして身を持ち崩し、母はキャバレーに勤めるようになって家族崩壊の様相となる。母が無理して入れた〈お嬢様学校〉で美里は浮いてしまう。イジメや無視が続く中、彼女は過呼吸に襲われ、何度も家出を繰り返す。自殺未遂も頻繁におこす。そんな高1の彼女に退学が言い渡され、「腐ったリンゴは他のリンゴも腐らせる」と校長は告げたそうな。行き場を無くした彼女が魅入ったのが劇団「東京キッドブラザーズ」で、主催者が東由多加氏だった。彼は離婚歴があり、劇団女優と再婚していた。が、美里と彼は間もなく同棲を始める。酒依存症に近い彼だったが「支えることで自分の足場ができた気がする」と彼女は語る。同居十年に及んだが解消。再び出会った時、彼は末期癌に侵され、彼女は家族持ち男性の子供を宿していた。再び二人は同居するも、出産三か月後に彼は他界してしまう。その後、彼女は十五年下の男性と結ばれ、三人で暮らしていたが、「虐待事件」として騒がれた

 息子は今年大学生となり独立した。東日本大震災を機に美里氏は東北通いを始め15年に南相馬市に移住、書店を経営しながら劇団も再立ち上げしている。長渕剛と組んで新設高の校歌をも作成したりしている。そんな彼女の元気の出る言葉二つ①「倒れている時でも顔をあげてましょう。困っている人に何らかの救いの手をさし延ばす事が出来たら自分が立ち直れます」 ②「幸せとは、状態でなく瞬間だと思います。どんなに辛い時でも幸福の瞬間は見られるのです。それを励みにして生き抜いていきましょう」。

 昨年は週刊ポストに「嫌韓、断韓と煽るな」と喧嘩を売った彼女の生き様が面白く、時々彼女のブログを眺めて楽しんでいるが、忖度などとは無縁な一途で赤裸々な作家だと今は思っている。

末尾だが「JR上野公園駅口」の全米図書賞受賞を祝したい。ーー南九州新聞コラム掲載済み 

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