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二人の学者

元気の出る言葉⑬ 一一五〇

 河合隼雄と森敦氏。故人二人とも世界的学者であった。

◎河合隼雄(かわいはやお)氏。兵庫県出身。文化庁長官。〇七年、七九歳で没。幼少期より繊細で、敏感に人の心を常に読み取ろうとしていた。よって家庭では「見抜き人」と呼ばれていたようだ。「人の死」にも幼い頃から強い関心を持っていたことが心理学の研究に向かせたようだ。「死」に最も近かった学こそユング派心理学だったのである。京大に勤めながら、日本心理臨床学会を設立し、臨床心理士制度や、スクールカウンセラー制度の確立にも尽力している。文化庁長官時代には、寺脇研氏(本稿で紹介すみの元文部官僚)を重用し、「ゆとり教育」にも関わりを持った。神戸の少年殺傷事件で「道徳教育」の元となる「心のノート」作成も指導した(が、画一的道徳教育には筆者は与しません)。著書は「心の処方箋」ほか多数。氏のエピソードとして二つ。冗談好きで、日本ウソツキクラブ会長を自称し、「うそは常備薬、真実は劇薬」や「マジメも休み休み言え」など笑えぬ箴言(しんげん)がある。もう一つ。生前の氏の交友関係は広かった。梅原猛鶴見俊輔森毅谷川俊太郎養老孟司村上春樹等々。以下は氏の残した言葉である。羅列になるのをお許し願いたい。 〇「順位にとらわれ、追いつき追い越せの教育は子供を不幸にするばかりです。親の安心のために子供を犠牲にすべきではありません」 〇「〈正常〉と〈異常〉なんて、ほとんど変わりませんよ」 〇「心の病の人には、頑張れなど決して言わずに黙って傍にいてあげましょう」。

最後に希望の出る言葉として「二つ良いことさて無いものよ」である。意味は「悪いことがある時は一方で必ず良いことがあるんです」と解釈しましょう。

◎森敦〈もりつよし〉氏。数学者。東京生まれ。二千十年、八十二歳で没。幼少時はひ弱だったため、「軟弱非国民」が立つ位置だったという。京大卒。京大助教から、教授昇任の審査の際に、助教授就任後の数学業績が論文二本しか無かった為に、これほど業績がない人物を教授にしてよいのかと問題になったが、「こういう人物がひとりくらい教授であっても良いのでは」とパスした京大らしい逸話がある。後の著書は多数で、「テレビタックル」などマスコミにも広く出演した。教師としての経験から彼は言う。「危ない教師に二大ボキャブラリーというのがあるのよ。それは『頑張れ、元気をだせ』と、もう一つは『俺についてこい』というもの。それって子どもには重いのですよ」と。「忙しいのはカッコ悪いのよ。そして、わかりやすいのはつまらん事だと考えよ。一筋に生きようとかにこだわるな、しなやかであれ」。最後に、逆説的ですが、氏の「元気が無くてもいいやんか」に賛同して、これを「元気のでる言葉」として締めたいと思います。ーー南九州新聞コラム10/2日掲載

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