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三丁目の夕日2


コミック「三丁目の夕日」から題材をとった、私的昭和30年代追想記である。

【夜汽車】歴史ある旅館の跡取り娘朝子は親の勧める観光協会長の息子と見合いを控えた前日、好意を寄せていた別の旅館の板前見習いの次郎と「駆け落ち」したのは昭和35年。青森の片田舎の駅で待ち合わせて、上野に向かう深夜鈍行列車に乗ったのだった。当時上限百円と定められていた駅弁を仙台で仲良く食べ、上野に着いた二人だが、待ち構えていた朝子の両親に捕まり、二人は引き離されてしまう。特急で両親が先回りしていたのは、心配した地元の駅員が報せてくれていたからであった。が、数年後。二人は結婚し旅館再建に取り組んでいた、粘り強く親を説得した結果であった、というお話である。

 昭和50年代初期、筆者が独身時代、若いカップルが〈駆け落ち〉して家に転がり込んできた事がある。前任校の教え子達だった。相談に乗ったが結論が出ないまま四日目の夕にいなくなっていた。後日「拝借してきた親の新車を売って換金しようとしたら、そこから親に連絡がいって連れ戻されました。親に認められるよう頑張ります」という報告が届いた。授業でふとその話をした際、「駆け落ちって知ってる?」と尋ねたら「行先を書いて外出する事です」と女子高生が答え、「それって書置きの事じゃないか」と爆笑になった事があった。「駆け落ち」が遠くなりつつあったのだ。

先般、札幌地裁で同性婚は憲法14条の法の下の平等から認められるべき、との画期的判決が出た。憲法24条での「婚姻は両性の合意のみに基づく」の解釈は、戦前の婚姻には家長〈戸主〉の同意が必要とされていたものを二人の合意のみで成立するとしたもので、同性婚の排除が目的ではない、が、多くの憲法学者の論である。同性婚の不利益は民法と戸籍法改正のみで排除でき、憲法改正には及ばないと筆者の論で終えたい。

【給食】父親が病気休職中で木下くんは給食費を払えずにいた。ある時、給食で好物の鯨カツを残して理由を聞かれ家の犬にやると言うと、みんなが同情してたくさんの鯨カツをくれる。が、実は家族の分だった。それを知った会計担当の女の子は給食費の督促を止めるというお話。

 小中時代に学級役員になるのが筆者はイヤだった。先生の助手役として〈品行方正〉を求められるのが嫌いだったからである。強い印象にあるのが多くの役職を引き受けていたチミちゃんである。才色兼備という語は当時知らなかったが、一番人気だったように思う。男女を問わず、慕われ頼られていた。小学でも同じクラスが多く、いつも溌溂としていた彼女にリボンの騎士の王女みたいな可愛く気高い印象を持ち、中学ではいつか一番気になる存在になっていった。中一でも同級になり最も話しやすい機会だったのに思春期に入って話しづらくなってしまった。フォークダンスの時間さえ女子と手を触れあうのが恥ずかしくて木の棒を持って繫いだ憶えがある。木の棒少年達は老いても変わらず、還暦同窓会でダンスが催された時も加わらずに隅っこで酒を手に気炎を上げていた、筆者もその情けない一人である。チミちゃんは同窓会不参加で多くが残念がっていた事で人気者だった事を再確認したなー。ーー南九州新聞コラム掲載済み

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