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三丁目の夕日⑩


【霜焼け】。建具屋さんの子供ミッちゃんは小さくしてお母さんをなくし、父親と二人暮らしである。小学低学年でありながら、炊事洗濯などを一人でこなしている。昭和30年代、まだ湯沸かし器が普及していなかった頃、冬の水仕事は辛かった。暖房も足りず、子供たちは冬でも外で手袋無しで遊んでいたから霜焼けの子供は多かった。霜焼けは手足や耳などの軽い凍傷で赤く腫れて痛みを感じるものだったが、ミッちゃんは霜焼けを通り過ぎてアカギレになっていた。冬の水仕事によって皮膚に亀裂が生じ、そのヒビが奥まで達して固まったものをアカギレと呼んでいた。ある日、欠席で休んだ一平くんに給食パンを届けて手のアカギレを彼のお母さんに気付かれてしまう。お母さんはみっちゃんの手にクリーム〈桃の花〉を塗り込んでやり、残りの瓶詰めを持たせてやる。その事を感謝しながら眠りについた彼女は、小さい時、自分に手をつないでくれた母親の手が温かかった事を思い出して、ホンワカとした夢見心地になるのだった。

筆者に中二の時、アカギレの手を見せてくれた美少女がいた。成績も良かった彼女、すず子さんとはそれほど話す仲では無かったが、ある休み時間に両手をあげてみせてくれたのだった。もう一人男子が傍にいたように思う。〈働き者なんだなぁ〉がその時の印象だった。その後会った事はないけれど、きっと働き者の人生を送った事だろうと思う。彼女の同級生にやす子さんがいる。二人は遠方住いにも拘わらず〈還暦同窓会〉の実行委員をしてくれた。やす子さんはみんなに大量のカンパチを差し入れしてくれた。南大隅産のカンパチがとても美味いものだと、その時初めて知った。感謝。

【僕たちの青春】。長野の地方都市の仲良し五人組はフォークバンドを組んでいた。卒業記念コンサートが大評判だった事に自信を持ち、皆でプロを目指して上京する。バイトしながらプロの夢を追って七年。それぞれに限界を悟って解散を考えるようになっていた。作曲も兼ねていたシンペイはボーカルの陽子から「25になり、あなたと落ち着いた家庭を築きたいと思うようになったわ。音楽は趣味にして別の仕事に就く気はない?」と迫られても答えられない。そのうち陽子は誰かと結婚してしまう。が、小さなクラブで歌いながら、俺は諦めないぞと心に誓うシンペイだった。

【望郷】レコード三枚を出したフォーク歌手であったがヒットせず、五郎は落ち込んでいた。そんな折、望郷の思いに駆られて帰郷する。集まったのは昔の音楽仲間三人。皆が彼のレコードを買ってくれていた事を知る。宴も終りになって、去年、ヨーコ〈上の陽子は別人〉が結婚していたと知る。〈八年間ずっと貴方を待っていたけど、待ちきれなくなったの〉と彼女の口から聞かされた翌朝、五郎は上京する。その列車の中で彼は決心する。〈もう一度東京で頑張ろう。そうでなければヨーコが俺を待っていてくれた八年間が無意味になる。期待してくれている友達の為に、いや、俺自身の為にも〉と。

筆者も独身時代バンドやってました。演目は「ダイアナ」「恋の片道切符」「思い出の渚」「帰らざる日日」などのコピー。プロからのお誘い? どこからも来ませんでしたね

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