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三丁目の夕日⑨


コミック「三丁目の夕日」から題材をとった追想記で時代は昭和30年代、筆者は小中学時代である。戦後10年を経て、新憲法下、国家という軛〈くびき〉から解放され、〈個人として〉国民が生活に勤しみ始めた時代と言える。【】はコミックのタイトルである。

【避暑地の出来事】若い奥さんのキミ子さんは、夏の思い出に、とご主人から二泊三日の伊豆の海での家族旅行に誘われる。それは三丁目の住民の慰安旅行で貸し切りバスで行くもので、大人一人二千円の激安旅行だった。そして、一人娘のみよちゃんを連れて着いたところは格安に似つかわしい旧くて汚れたお宿だった。それでも食事はおいしく、結婚三年目の二人にとっては新婚旅行みたいなものだった。満足の中でスイカ割りで楽しんだり、間違って隣の海水浴場に泳ぎ着いたキミ子さんが飛び入りで参加したミス水着美人コンサートで女王に選ばれてトロフィーと賞金五千円也を貰ったりのハプニングがあったりで、帰りの車中は全員が疲れ果てて高いびきの中、連れて来て良かった、と思うご主人のタケちゃんだった、というお話。

【さらば夏の日】。半世紀前のフランス映画のタイトルに名を借りた、ひと夏の恋の物語である。鈴木オートに勤める青年六さんは、ひと夏のアバンチュール(冒険)を楽しもうと伊豆に一人向かう。汗と油にまみれた修理工をイメチェンし、パーマの髪にサングラス、新調したアロハにスポーツカーをレンタルし、貯金をはたいて海水浴場にやってきた。知り合った若くて可愛い美容師さんの卵をドライブに誘い、青年実業家を装う。一緒に海を眺める二人の共通点は仕事で荒れた手であるのだが。翌日のデイトに誘うと彼女、恵子さんも六さんに好意を持ったのか応じてくれる。翌日、二人で泳ぎ、豪華レストランで、ハヤシライスを頼もうとする彼女にビフテキを勧めて食事を楽しんだのだが、やがて別れの時。「とっても楽しかったわ。また会いたいな」という彼女に(実業家だなんて嘘言わなければよかった。もう会えはしない、嘘がバレるから)とちょっぴり後悔する六さんだった。

 センチな話の後に私事を書くのははばかられるのだが。筆者の中学時代、学校の〈臨海学校〉で夏井〈高松?〉に行くのがとても楽しみだった。キャンプファイアで、ミチ子さんが弘田三枝子の「バケーション」を歌ったのがとても上手くて、凄いインパクトだった。溌溂〈はつらつ〉とした肢体で振りも鮮やかに伸び伸びと、まるでアイドルみたいに歌い、拍手喝さいだった記憶がある。目立ちたがりの筆者は屋内で「催眠術ショー」をやった。

勿論、本当にできる筈はない。だが、相方になってくれたツトム君が上手に演じてくれ、最後に「アレ? 僕は今どこにいるんだろう」で決めてくれて、受けた記憶がある。その時、まさか50年後の今、催眠療法士〈ヒプノセラピスト〉になって営業する事になるとは予想もしなかった。

そして、その臨海学校で自分には未知の世界だった〈男女のヒメゴト〉を熱く語り教えてくれたのがミサオ君で昨年他界したと聞いた。些かヤンチャ少年だった彼は誰もが出来なかった棒高跳びの名手だった。

  ーー南九州新聞コラム掲載済み

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