三丁目の夕日⑦
コミック「三丁目の夕日」から題材をとった追想記で時代は昭和30年代である。戦後10年を経て、新憲法下、国家という軛〈くびき〉から解放され、〈個人として〉国民が生活に勤しみ始めた時代と言える。筆者の小
中時代である。【】はコミックのタイトルである。
1. 【鰻のかば焼き】木下さんはずっと病気で失業し、奥さんは内職をしていた。食欲のないまま土用丑の日が間近な或る日、昔食べた事のある鰻のかば焼きが食べたいと洩らしてしまい、乏しい家計が頭に浮かんでその言葉をすぐにひっこめる。「うちではとても食べられない」と奥さんもため息交じりに洩らした。〈昭和30年、うな重の並が350円、米一キロが76円、大卒初任給が一万百円だったそうである〉。父に鰻を食べさせたいと考えた小学生の兄弟二人は川に鰻釣りに行くも釣れず、縁日での一回二十円の鰻釣りにも失敗する、が、縁日でクワガタとカブトムシが一匹二十円で売られているのを知った二人は山にカプト虫とりに行き、捕獲に成功し一匹十円で売って二百円稼ぐ。「これで父ちゃんに鰻を」と差し出されたお金に母さんが涙を流して喜ぶ、というお話
【偏食】現在は食アレルギーの児童には別メニューが配膳されていると聞くが、戦後まもなく給食が始まった頃は、食糧難もあって、食べ残しはだめ偏食はなおすべしの傾向が強かったようだ。その頃。小学生の美香さんは好き嫌いがとても激しく、野菜、鶏肉、魚はだめ、牛乳も飲めないという凄い偏食だった。
その為に、「全部たべましょう」の給食を時間はかかるし、無理に食べたものを吐き戻す事もあった。BFの家に招かれた食事でもその場で吐き戻してしまい、嫌われたと失意した事もあった。ところが。大学生になり、酒を飲めるようになってから嗜好が変わり、偏食が消失したのである。「体が丈夫になったのはいいが、嫁入り前の娘が付き合いで遅くなっては」と両親を心配させるようになった美香さんである、というお話。
筆者も酒を覚えるまでは偏食で、鰻は苦手で、父が獲ってきた鰻を食べる事無く、旨そうに食う弟を見ているだけだった。今にして昔が勿体ないと思うほど鰻好きで、来客には大隅産鰻を自慢してふるまっている。さて、先般の話しである。〈うな子〉ちゃんのCMを好ましく思ってみていたが疑義が出たのには驚いた。嗜好の違いでなく人権の問題として捉えるベきだったのだろうか。
思春期の頃、筆者には潔癖症もあった。母の手が味噌汁椀の淵にかかろうものなら、絶対にそこに口をつけることは無かった。180度性癖が転換するのは山男になってである。雪山では水が無い為に食器を洗わず、簡単に紙で拭くたけである。そして食器は個人のものでなく部共有の物を使う。汚れが完全に落ちたとは言えない、誰が口にしたか判らないものを皆で廻して使っていた。〈今は違うかもしれない。半世紀前の事である〉。山男になると共に潔癖症など吹っ飛んで行った。独身時代が長かったのも、汚れ屋敷でも病気にならない耐性が付き、ゴキブリみたいにしぶとく生きられる生命力が着いたからだと思う。もっと自慢すれば、賞味期限も目にせず食している。これって自慢になるのかなぁ(笑)
ーー南九州新聞コラム掲載済み
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