三丁目の夕日⑱
コミック「三丁目の夕日」から題材をとった私的追想記で、時代は昭和30年代である。戦後10年を経て、新憲法下、国家という軛〈くびき〉から解放され、〈個人として〉国民が生活に勤しみ始めた時代と言える。筆者の小中学時代である。【】はコミックのタイトルである。
【蛙の唄】児童養護施設、聖子羊園で暮らすマリアちゃんは、同じく園に住むアキラ兄ちゃんを本当の兄さんみたいに慕っていた。優しく正義感の強い兄ちゃんは彼女がいじめられている時は、学校でも園でもいつも飛んできて助けてくれたからである。ある時、学校帰りの水溜まりにオタマジャクシを見つけて二人で持ち帰って飼う事にする。そして両足が出そろい、蛙になる頃、田んぼに放してやる。その時、まりあちゃんは「カエルも私達と同じね。親の顔も知らない卵のうちに捨てられるんだもの。でもマリアは寂しくないわ。お兄ちゃんがいるんだもの」と言うのだった。しかししばらくして、置き去りにしていた母親が現われ、マリアちゃんは引き取られていく。悲しみにくれたアキラだったが二人は二度と会う事は無かった。末尾は以下である。「その後アキラは親切な人に引き取られ、やがて新聞社の記者となって、正義と真実の為に日夜ペンをふるうのだった」。終り
筆者の思いはこうである。検察官や警察官も同様に、新聞記者も正義感に勝る人がなる仕事と思っているが果たしてそうか、という事である。米国でバイデン政権が誕生した時、マスコミ担当となった女性のサキ報道官が初の就任会見で取材陣に何と言ったかというと「これから貴方たちとケンカしましょう」だったのである。為政者が知られたくない事を調べて国民の為に報道するのがマスコミの使命の一つとするなら、当然為政者とケンカはありうる話である。「正義感に燃え、為政者と喧嘩も辞さない新聞記者」は果たして存在するのか、映画「新聞記者」の中だけとしたら寂しい話である。
【おばあちゃんの小さな畑】お種ばあちゃんが東京で娘家族と同居する事になったのは、田舎の家がダム建設で水没する事になったからである。モンペ姿で散歩したところを娘にみっともないと咎(とが)められ、する事もなくぼんやりしていたが、ある時思いついて日当たりのいい庭を耕して畑にする。肥料に人糞をくみ取って撒いていたら、臭いと娘に大目玉を食らって禁止となる。じっとして暮らせと命令されたお種さんにはボケの傾向が現われてそれは進み、訪ねて来た近所のばあちゃんに「好きな事でもさせないと、ボケが進行しての面倒見は大変だよ」と言われた娘さんは、人糞禁止を条件に畑作りを認める。畑の隅で堆肥を拵え、作ったお種さんの野菜は美味いと近所でも評判になるのだがーー。実は彼女のボケは近所のばあちゃんと打ち合わせた演技で、人糞もこっそり使用してはすぐに土を被せてゴマ化していたというお話でした。
筆者も少しばかりの農作をやっていて鶏糞、牛糞を肥料にしていますが、今は「発酵済み」肥料なので、匂いもせず、近所迷惑にもならずにすんでいます。
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