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三丁目の夕日④


コミック「三丁目の夕日」から題材をとった追想記である。時代は昭和30年代で、戦後10年を経て、新憲法下、国家という軛〈くびき〉から解放され、〈個人として〉国民が生活に勤(いそ)しみ始めた時代と言える。BGMには「私の青空」をお勧めしたい。歌詞の一部は〈夕暮れに仰ぎ見る輝く碧空 日が暮れてたどるは我が家の細道 狭いながらも楽しい我が家―略―恋しい家こそ私の青空〉で、エノケンでヒットしたが筆者は高田渡が好きである。文の冒頭【】は「夕日」の中のタイトルである。

【クリスマスツリー】。練炭屋に勤める留吉くんは鹿児島からの集団就職組である。彼曰く「鹿児島生まれで大の寒がりだから燃料店なら暖かい仕事だと思って選んだのに」、「寒い時に配達が忙しくて、外は寒いのなんの」、と愚痴を零しながらリヤカー自転車で薪や練炭を配達している。お得意先は住み込み手伝いの駒子さんに片思いを寄せている。彼女は東北の貧しい農家の生まれで、すきま風の入る家で寒い思いをして育ったと彼にいう。「鹿児島はいいところでしょうね」と憧れをみせる彼女に、留吉くんは「そりゃあ、青い空に青い海、さんさんと輝く太陽、フエニックスの島」と自慢し、「暖かい土地の人のところに行きたい」という彼女の言葉に期待を膨らませるのだ。が、大手暖房器具メーカーに勤める男性と見合いをしてさっさと結婚してしまう。数年後「かわいい子どもに優しい夫、温かい部屋、これが幸せというものかしら」と述懐しながら「寒がり屋の留吉さんはどうしているだろう」と思い出すのだが、彼は未(いま)だに寒がりながらも配達を続けていたというお話。

筆者のお風呂の話二つです。独身時、ボイラー銭湯の近くに住んだ事があります。そこは客もまばらで、室内から「温めて」と大声上げれば焚き付けてくれるのだった。その後、釜風呂の家を借りていた時はオガライトで炊くのだった。鎮め板に乗って風呂に入るのを知らなかった教え子卒業生が鉄釜の底に足をつけて悲鳴をあげた事があったが、独身時は卒業生の教え子の来訪者〈男のみ〉が後を絶たず、貯金は一向にできなかったです。

【学級閉鎖】。インフルエンザの流行で、学級閉鎖になった一平君や少年たちは遊べるゾと喜ぶのだが、家族もみんな風邪をひいてしまい、手伝いに追われるうちに自分も風邪で寝込んでしまう、というお話。昭和32 年の「アジア風邪」で八千人、37年のインフルエンザでは七千人の死者が国内で出ている。現在の新型コロナの感染が終息を願わずにはいられない。

中学の「古稀同窓会」も昨年予定が中止〈延期?〉となってしまった。「還暦」に続き「古稀」同窓会でも幹事長役のかずよし君は、責任感の強い男だからヤキモキしているかも知れない。ですが、止む無しと考えて時を待ちましょう。「健康第一」ですからね。かよこさん、「還暦」同窓会では世話役としてお世話になりました。赤いスイートピーのコサージュには感謝でした。


 最後に質問です。「子どもは風の子、では、大人は〇の子」と言われるでしょうか、御存じ? 答えは「火の子」だそうです。寒い時、大人は火を欲しがるところから、だそうですよ。

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