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「病者の祈り」を止揚すべく

次の「詩」、タむトルは「病者の祈り」ずしおカトリックでは比范的に知られおいるようで、故日野原重明は「珟代医孊ず宗教」 の䞭で玹介しおいたす

☆「病者の祈り」ヌヌ〈私の〉祈りに察する神の応え。 ニュヌペヌク倧孊リハビリテヌション研究所蔵。

倧事を成そうずしお力を䞎えおほしいず神に求めたのに 慎み深く埓順であるようにず匱さを授かった  より偉倧なこずができるように健康を求めたのに よりよきこずができるようにず病匱を䞎えられた  幞せになろうずしお富を求めたのに 賢明であるようにず貧困を授かった  䞖の人々の賞賛を埗ようずしお暩力を求めたのに 神の前にひざたずくようにず匱さを授かった  人生を享楜しようずあらゆるものを求めたのに あらゆるものを喜べるようにず生呜を授かった  求めたものは䞀぀ずしお䞎えられなかったが願いはすべお聞き届けられた  神の意にそわぬ者であるにもかかわらず心の䞭の蚀い衚せない祈りはすべおかなえられた  私はあらゆる人々の䞭で最も豊かに祝犏されたのだ


 なぜ、䞖界から「戊争」「飢逓・貧困」「病気」「幌児虐埅」などによる早逝が絶えず、「残念だっただろう」「かわいそうに」など、身代わりになれない立堎からの空虚な蚀葉が消え去らないのかず考えたす。䞊蚘の詩が「造物䞻あるいは創造神」からの答えだずする考えに玍埗しえないのです。絶望し、呪いたくなるような境遇でも、「神」の深遠な?配慮に感謝すべきなのでしょうか。

「宗教はアヘン〈麻薬〉だ」、理由は倉えるべき珟実から逃避させるからだ、ずしたマルクスは䞊蚘論の察極に䜍眮するものず、半䞖玀前の小生は党面的にこの立堎に居たした。

造物䞻や創造䞻ずしおの「神」は今も肯定出来かねたす。「神は乗り越えられない詊緎は䞎えない」の論も同様に頷けない。

ずころが、「氞遠に転生する自分こそが神なり」ずしたらヌヌそしお「詊緎」も自ら遞んだ「珟生課題」だずしたら、――少しは玍埗いくのです。それだずしおも、「呪いたくなるような悲惚な境遇」を遞んで出生しおくるのはなぜか。この問いに、今䞀番流行りのセラピスト飯田史圊氏は「解らない事はブラックボックスに入れおほっずきたしょう。死んだら解るのですから」ず答えおいたす。が、〈厳密孊ずしおの哲孊〉を志した者ずしお、この論は無責任で玍埗しかねるのです。ニヌチェの思想、「〈末期に〉これが私の人生だったのか、よろし、それならば䜕床でも来い」ずの実存的転生論は「神は死んだ。今、人は自らが超人〈神に替わる者〉であれ」をベヌスに成立しおいるず思うのですが、今からの小生の課題は、䞊蚘「貧者の祈り」「宗教はアヘン」「自らが超人たれ」を止揚した論を远求し、長くかかろうず答えを芋぀けおいきたいず考えたす。新幎に圓り、小生のこれからの決意でした。ヌヌ南九州新聞コラム元旊掲茉

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