「信じる事」「疑う事」
ーーー 先々週の「あまびえ飴」論で「信ずる者は幸いなり」の語を用い、先週「時事論」の内容は「政治家の言は疑え」に近い論旨で書かせて貰いました。使い分けている筆者の本音は如何に? との疑問をお持ちになられたかも、という訳で、今回は後者の「政治とは疑ってかかるべし」に論点を置いて展開してみたいと思います。
決して万能足り得ない為政者、その誤りの可能性を糾〈ただ〉す為にも権力は集中さすべきではないとの論理から生まれたのが〈権力分立論〉です。「政治とは疑うべし」と言ったのは確かな記憶ではないのだが、米国独立宣言の起草者、ジェファーソンあたりかもしれない。余談だが三代大統領を務めた彼の墓碑には名が書かれているのみで大統領歴など一切書かれていないそうです。故人の遺志なのだろうが、「生前功績」や「叙位叙勲」などを來世に持ち込もうとしない潔さは賞賛に値する、とさえ思うのです。さて、米国の大統領制は〈権力分立〉を基盤としている。大統領には議会から相当の縛〈しば〉りがかけられています。予算編成権は議会にあり、余り知られていないが宣戦布告権も議会にある。
紙幅の都合上、〈権力分立〉と対比する〈権力集中〉制に移りたい。権力集中した政治体制で浮かぶのは、〈全体主義国家〉だろう。〈全体主義国家〉とは批判勢力の存在を認可しない翼賛国家で、ここではヒトラーのナチス政権を見てみたい。ナチス政党が生まれたのは第一次世界大戦の敗戦国ドイツである。戦後賠償の経済的負担に喘〈あえ〉いでいたドイツだが、ワイマール憲法という「生存権の保障」を世界に先駆けて明文化した先進的・民主的国家だったのである。それを巧妙に崩したのがヒトラーで、「非常事態権限」で人権制限を可能にするや「全権委任法」を成立させ、総統たる自分に絶対的権力を集中させ批判勢力を潰し、独裁政治へと突き進んでいったのです。「全権委任法」とは、政府が議会から立法権を奪い議会の役割を抹消するものです。これにより国民の人権は反故〈ほご〉にされ〈注。保護と正反対の抹殺の意味〉、独裁政治が完成していきました。再び戦争へ向かい、600万と言われるユダヤ人のホロコースト〈大量虐殺〉の惨禍に至った訳です。
ヒトラーの言葉を最後に幾つか列記しておきます。 〇政治とは一人の指導者の意思なり。統治とは一人が命じ、後は実行すればよい。 〇並外れた天才は、凡人に配慮する必要はない 〇人々が思考しない事こそ、政治にとって幸いだ。〇リーダーシップの目的は、一つの敵に注目を集めさせ、その注目を分散させない事だ。 〇大衆は小さな嘘より大きな嘘に騙されやすいものだ。
まとめとして、ヒトラーが宣伝相を創設し、プロパガンダ〈大衆宣伝〉に力を入れた事はよく知られています。騙(だま)されない賢い主権者になって、政治を監視する事こそ、民主主義を支え、発展させることになるのではないでしょうか。
「国民は自らのレベルに応じた政治しか持ちえない」の語を噛み締めていますよ、自戒をこめて。
ーー南九州新聞コラム掲載済み
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