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「キューポラのある街」を観た


先般、本コラムで「青い山脈」論を書かせて貰ったが、引き続き、小百合さんの「キューポラのある街」である。我々団塊世代の上には「サユリスト」を名乗る先輩は多数おられるが、小生、サユリストを名乗るほどの熱狂性はないもののファンである事は一映画マニアとして否定しない。松原智恵子さんも好きなれどーー。質問です、森光子・森繁久彌・渥美清さんとくれば何でしょうか。答えは国民栄誉賞受賞の俳優陣である。小百合さんをここに連ねても何ら遜色ないと小生は考える、半世紀以上に亘って日本映画界を先頭に立ってリードしてきた「国民的女優」の代表と考えるからだ。

 映画の(キューポラ)とは鉄の溶鉱炉であり、煙突の立ち並ぶ埼玉県川口市を舞台にした物語である。粗筋を簡潔に。中学3年のジュン(小百合)は、鋳物工場に働く職人の長女である。前向きな性格で、高校進学を目指していたが父が解雇となって家計は困窮し、楽しみにしていた修学旅行も直前に取りやめることに。元職場の仲間から、父の解雇を労働組合で取り上げようとの提案を父は嫌う。近所には祖国への帰還に悩む朝鮮人一家や、貧しくとも逞しく生きる人々達が多くいる。それらの人達との交流の中で、彼女も、自立して働きながら学べる夜間定時制に進学しようと決意する。が、簡潔な筋書きである。「北朝鮮への帰還」が在日朝鮮人の祖国復帰として肯定的に描かれている事に今なら批判もあるだろう、しかし映画製作開始時の1961年当時、帰還事業を読売・産経等殆どの全国紙が応援し、社会も肯定的だった事情を鑑みると理解できない事は無い。職人気質の父親の「赤だ、労働組合は!」も同様に、である。

 筆者も学生時代に鋳物工場でのバイト歴があります。粉塵の中、ぶ厚い皮手袋で鋳物を手づかみにしてました。友人には製氷工場でバイトした者が皮の作業服を着用したと聞き、皮製品は熱に強いのだなと納得した覚えがあります。62年公開の本作を見る機会があったのは68年の大学祭である。見逃したのは、属していた山岳部の一人として自治会の天文館パレードにボッカ稼業のなりをして加わっていたからで、半世紀を経てやっとお目にかかれた次第。芸能人に少ない反戦・反原発などの社会的活動をしている彼女を筆者は高く評価している。1986(昭和61)年から彼女がボランティアで原爆詩の朗読会をやっているのは、【夢千代日記】で原爆症に苦しむ主人公を演じた事がきっかけと言われている。著としては、中村哲・黒柳徹子氏らと『憲法を変えて戦争に行こう - という世の中にしないための18人の発言』(岩波ブックレット)を執筆、その他にも彼女の発言、「若い頃、私は母に『なぜ戦争はおきたの、反対しなかったの』と聞いた事があったんです。そしたら『できなかったのよ』と。その意味が最近になって解る気がしています。今の世の中を見ていると、息苦しい気がして」は、よくFBで取り上げられています、小泉今日子さんも同様に。

ですが。国民栄誉賞に値する大女優と最初に書きましたが、政権批判に繋がるような大胆な言動をしている小百合さんですから、受賞は無理でしょう。尤も受賞などさっさと断ってしまうかも知れませんが。

 --6日南九州新聞コラム掲載

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