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「元気の出る言葉」元ちとせ・吉俣良

  郷土出身の二人のミュージシャンである。

元ちとせさん。古仁屋高卒の歌手である。「ワダツミの木」の大ヒットは記憶に新しい。奄美島唄を四曲しか歌えない筆者であるが、島唄の「唄者」と呼ばれる人なら十人以上は名をあげられる。中でも若手には昔から注目してきた。中野律紀、牧岡奈美、中村瑞希、城南海、川畑さおり(喜界・安田民謡教室でワンの後輩筋)、中孝介、貴島康男などなど。その筆頭にあげられるのが元ちとせだろう。唄者として幼い時から注目を浴びていたが頭角を現したのは高三で「奄美民謡大賞」を史上最年少で受賞した時と言える。曲目は「嘉徳ナベ加那(かな)」だった。だが、前年には既に彼女の歌う「朝花節」は映画「寅次郎紅の花」の挿入曲として採用されているのである。

 高校卒業後、夢だった美容師への道を歩むべく就職する。が間もなく薬剤によるアレルギーを発症して美容師の道を断念し上京、歌手を目指すこととなる。「ワダツミの木」の大ヒットは三年後の二千二年である。その後、彼女の歌うスタイル、裸足で体全体を使って歌う姿は視聴者を魅了していく。0五年八月、広島慰霊祭で歌った「死んだ女の子」は、被爆して七歳で命を落としていった少女をモチーフに平和を望む歌であるが彼女の歌には感動を覚えずにはいられない。〈ユーチューブで視聴できます〉。そんな彼女からの「元気の出る言葉」は「朝花節」である。

今日の誇らしゃや いつもより勝り いつも今日のごと あらちたぼり〈あってほしい

 奄美ではお祝い席の最初に決まって歌われる島唄である。余談である、奄美ファンの筆者には好きな島口(奄美方言)は幾つもあるが、挨拶語の「拝みんショーラ(お久しぶり)」や「拝み〈ウガミ〉遠さど(会いたかったよ)」もその一つでFBの冒頭で使わせて貰っている。

 〇吉俣良さん。鹿児島中央高出身。作曲家。四歳から英才教育としてピアノを習う。耳コピーと言うが、聞いた曲は何でもピアノで弾けたという。中高は吹奏楽、横浜市大(商学部)でジャズバンドにハマるが、器用さが買われ、美空ひばり他有名歌手たちのバンドマンをも渡り歩く。その中で湧いてきた夢が、映画の伴奏曲(サウンドトラック)をやりたいというものだった。その頃〈やりたい事を人に言えば、言霊(ことだま)が働いて夢は叶う〉と信じていたそうだ。一方、〈退路を断つこと〉、それも信条としていた。大学卒業後は多くのCMソング、テレビ「Dr・コト―診療所」に映画「半次郎」などの劇伴曲や、県立明桜館高校校歌など多方面の作曲で活躍している。ひときわ注目されたのは、〇八年に大河ドラマ「篤姫」の曲を手掛けた事だろう。帰郷して桜島を眺めること三週間にして曲が生まれたそうだ。音楽科出身で無い作曲家として、大河を渡る初代開拓者と結果なった次第である。有名と言えなかったそれまでは音楽仲間たちに「巨匠」と呼ばせていたのを、以後、止めて貰ったというから彼のスタンスは笑えますね、シャレにならなくなったという訳です。そんな彼の(元気の出る言葉)はこれです。

「夢は近くのものを。そして人に語ること」だ、と。「巨匠」らしい言葉と言えましょうかね。ーー30日南九州新聞コラム掲載

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