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戦後映画二本「青い山脈」「野火


 映画ファンを自称する筆者が、たまたま一晩に観た二本の映画を〈戦後映画〉として括る事にしました。

青い山脈

中高年の人なら誰もが藤山一郎歌う主題歌は耳にしたでしょうね。ヒット曲となり映画も五回製作されている。本稿では三作目の一九六三年吉永小百合主演作で紹介したい。城下町の女子高校に転校してきた新子(吉永小百合)は前の学校で恋愛問題を起して退学になったのだという噂があったが、溌溂・堂々としていた。青年達とも奔放に会話する彼女にラブレターが届く。それは彼女への反感から同級生が描いた新子を試す悪質なイタズラだった。新子が担任の雪子先生(芦川いずみ)に相談すると、担任はその卑劣・不純に怒り、学級で問題とする。が、生徒達の反感を買い、事件は職員会そしてPTA役員会で問題視される事となる事となる。雪子先生に好意を持っていた校医の沼田医師の支援と二人の学生(浜田光夫と高橋英樹)の応援を受けて、町のボスたちの仕切る役員会に乗り込む雪子先生だった。と粗筋はここまでにして。印象的なシーンを二つ。沼田医師が雪子先生と帰宅中、将来の夢を訊かれ「こんな旧い田舎ですからバカにならなきゃやっちゃいけませんよ。医院の跡を継ぎ、持参金付きの嫁を貰い、市議になり、囲い者を一人も持ったら恰好いいですかね」と言ったところ、ジョークを理解しなかった雪子先生から思い切り平手打ちを食う場面。女性からの平手は理事会でも話題となるが、雪子側生徒の姉である若い芸者が「叩かれて喜ぶ殿方もおりますの」で反撃成功となる。もう一つは理事会の席で、生徒の保護者代理に扮した学生(英樹)が「世の中には復古調とかで、教育勅語の復活をさせようとする傾向など見えますが、歴史を逆行させるもので甚だ遺憾であります」などの発言は説得力があった。最後に筆者の体験から。映画が上映された二年後が高校入学なのだが、「キミらの中には、変しいなど学力不足を見せつけるノータリンはいないだろうな」と授業中に言われた先生がおられた。が、全然受けなかった記憶がある。映画を見たものはいなかったのだ。

「野火」

先の大戦をフィリピン・レイテで兵士として体験した大岡昇平原作となる。一九五九年と二〇一五年の作があるが、筆者が観たのは後者である。結核を患い、原隊そして野戦病院からも追放された兵士が、負け戦の密林の戦場を独り、飢えと孤独の中で放浪する。戦闘場面は残虐に尽きる。手足が吹き飛び、内臓や脳みそが飛び出すシーンや死体に湧き出す蛆虫などがこれでもかというくらいに映される。極みは人肉食である。「俺が死んだらここらあたりを食えよ」と弱弱しく腹を指さす兵士の場面など、怖いものが苦手な人にはお勧めできかねないというのが率直な感想だ。しかし。原作の大岡氏は言う。「戦争を知らない人間は、半分は子供である」と。戦争体験者の故田中角栄は語っていた「戦争の実相を知らない世代が政治の中枢を担うようになった時は危うい」と。そのような忠告にこそ注意したい。間もなく終戦記念日。少なくなったとはいえ「戦争特番」が組まれる事だろう。「戦争の記憶」を胸に刻む事から、改めて平和の希求を始めたい。

   ーーー16日南九州新聞コラム掲載

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