top of page

元気の出る言葉・⑨「かりゆし58」


質問です。日本最長の国道路線をご存じか。答えは鹿児島の西郷隆盛像近辺を起点とし、種子島航路で種子島縦断、奄美大島を縦断して沖縄本島の那覇に至る国道58号線で、海上も含めた長さになり沖縄では「ゴーバチ」と呼ばれている。

 と、沖縄に辿り着いたところで。何を隠そう、筆者は「奄美・沖縄」ファンである。今回は沖縄ね。かつて現役の高校社会科で憲法成立を教える時、沖縄戦それまでの沖縄史など一時間かけて教えていた。で今、長寿食沖縄料理、オリオンビールに泡盛と飲食物は何でも来たれであるが、芸能人にも沖縄出身者はのきなみファンである。タレントでは昔は仲間由紀恵さん、今は二階堂ふみさん、極めつけは満島ひかりさんである。あの細いたれ目のキュートな彼女と飲んだらビールはいくらでも飲めるのでは、とおもってしまうほどだ。歌手では「ドゥチムニー」の佐渡山豊、まよなかしんや、ビギンに、ダ・バンプ、そして今回の本題「かりゆし58」で、そのバンドリーダーである前川真悟氏である。

 前川氏は81年沖縄南部の小さな町に生まれた。目立つ事が存在証明とばかりに見えを張り、喧嘩にあけくれて退学と転校の少年時代だったという。沖縄でも屈指の暴れん坊と恐れられた頃には、背中から腕にかけて大きな入れ墨をいれるに至っている。

 どうにか高校卒業したものの、入れ墨青年を雇ってくれる職場もなく、本土に出て運送会社に勤める。しかし。そこはどん底を経験した人達の集まっていた職場だったそうな。指の欠けた人、自己破産者、借金取りから逃げている人など。その彼らの話題と言ったら「昔、自分がどんなにワルだったか」の自慢話ばっかりだったそうである。そんな生活の中で癒しになったのが輸送トラックの運転中に聞こえてくる音楽だった。「有難う」「愛してる」などの言葉が素直に心に入ってくるのを感じた時、幼い頃、自分が家族の愛情に囲まれて育ったのを思い知らされたいう。高校までやっていたバンドをまたやろう、そう思った彼は帰島し、バンド活動を始める。「かりゆし58」である。しかし売れずに、極貧のどん底暮らしを続け、もはや解散と最後の曲として出したのが「アンマー〈沖縄語でおかあさん〉である。歌詞を「絶望に効く薬・前川真悟論」より転載する。♪〈自分の弱さに目を背け言い訳やゴタクを並べ 何もせずに毎日をダラダラと過ごし続け 浴びるほどに飲んだ私が明け方眠りに落ちる頃 まだ暗い朝の町へ母は出ていくのでした あなたはそれでも変わることなく私を愛してくれました あなたのもとに生まれ落ちたことはこんなにも幸せだった〉♪。私事である。この曲は五年前、亡妻の葬送曲として父に相談なく長男が流している。

 最後に前川氏の元気の出る言葉は「本当にボトム〈底〉を知ると明るくなりますよ。あれも無くなった、これも無くなったと考えるより、残ったものを考えるのが大事だと思います」である。ちなみに沖縄語の〈かりゆし〉とは、「めでたい、縁起がいい」の意味である。英語の溢れる沖縄圏にあって、言葉を大切にしたいと全て英語を排除しオール日本語の彼らの歌を聞いてみませんか。「万事好転へ」と思いますーー南九州新聞25日掲載

Recent Posts
Archive
bottom of page