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元気の出る言葉ーー井上雄彦


個人の好みで言えば、寄付活動やボランティア活動をする人は信用する事にしている。「偽善だ」「自己満足だ」「売名だ」という人には言わせとけばいい。優れて慈善活動をしている俳優の杉良太郎氏は「おお売名だよ、それがどうした」と言う。潔さに拍手したい。体力も筋力も乏しい小生は、努めて割引商品を買い、差額を幾つかの団体にカンパしている、雀の涙ほどであるが。そんな訳で著名人の「慈善活動」にも目ざとい。哀川翔氏の八丈島海岸清掃も目に入ったし、私事ながら、伊座敷の拙宅では客人に僅か30分ではあるが海岸のゴミ拾いをお願いしている。

 今回は漫画家井上雄彦氏である。彼は鹿児島水害被災時に寄付をし、それ以降もふるさと納税で県や出身の伊佐市に寄付を続けているそうだ。「スラムダンク奨学金」も継続中である。敬意を表したい。伊佐市生まれの彼は小中時に剣道を、大口高校時にバスケットをやったそうである。それが後の「スラムダンク」や「バカボンド」に活かされたのだろうか。小生は「バカボンド」は全巻持っている。さて彼は美大進学の夢を変更し熊大に進学するも中退し、漫画家になるべく上京する。漫画家アシスタントを経てデビューするも売れず、次の原作者付きの漫画は打ち切られ、鳴かず飛ばずの苦節の三年、無収入生活となる。原作つき漫画で連載打ち切りという挫折を味わった事に対して、「悪い時もある意味で必要」と思えるようになったのは随分後になってからだそうだ。当時は焦りがあった、〈バスケ漫画で勝負したい。同業者よ先に描かないでくれ〉と。だが業界では「バスケものは当たらない」と〈呪われた伝説〉があった。そこに、バクチに賭けるようにして挑んだのが「スラムダンク」である。1990年である。掲載誌「少年ジャンプ」は600万部の発売数を誇り,破竹の勢いだった。自分も読むのが待ちきれず、朝登校する生徒でジャンプを持参する生徒から取り上げてではなく借りて読んだ時もある。「友情、努力、勝利」をメッセージの方針としたジャンプは不良誌では無かったと思う。「ドラゴンボール」に「ジョジョの冒険」など、その後幾つもの単行本を買って自分の子供に与えたものだ。「漫画は悪」論には、当然ながら与〈くみ〉しない。最後に井上氏の「希望のでる言葉」である。「悪い時もある意味必要」と述べた氏は次のように語っている。

「人生はオセロみたいなものだ。いつひっくり返るかはわからない。人もいつかは死ぬ。たとえ今ひっくり返されようと、その日が来るまでせいぜい自分のコマを残そう。先は解らない、勝負を捨てない事だ」、と。

おまけである。オセロの話のついでにバクチのお話。史上、最大のかけ事、バクチをご存じか、それをやったのは男女いずれか。答え。最大にして最初のバクチとは「エデンの園で禁断の実を食べた事である」。賭けようとしたのはイブ、女である。実を食べたらとの誘惑にそそのかされた方がアダム。ま、二人がやったバクチの負けのおかげで神の怒りからエデンを追放され、おかげでアナタもワタクシも存在している訳ですから、ここは二人のご先祖に感謝でしょうか。

橋ーー南九州新聞コラム7日掲載でした。

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