哀川翔論
ご存じ、「Vシネマの帝王」の異名をとる郷土出身タレントである。Vシネマには欠かせない帝王である彼は徳島生まれであり、本籍は祖父の住む東京としている。彼が鹿屋に縁があるのは母親が鹿屋出身だからである。
五歳にして父を失った。自衛隊のパイロットだった父は航空事故死するのである。臨月だった母に代わって父の遺体確認に連れて行かれたという。その後、一家は母の実家のある鹿屋に転居し、鹿屋小学校、一中、高山高校へと進学する。
彼の自伝コミックを読むと、少年時代は相当な〈ワル〉で生傷が絶えなかったそうな。中学では柔道、高校では器械体操に所属し、その後、専門学校に進む。本来は体育大に入学して体育教師を目指すつもりがヘマで願書を出し忘れた事により、進路変更をせざるを得なかったそうな。
その頃、原宿の街には路上バフォーマンスをする若者集団が跋扈〈ばっこ〉し始めていた、竹の子やローラー族など。〈一世風靡〉もそこから現れた集団で、彼らがメジャーになった後に事務所が仕掛けたのが〈一世風靡セピア〉で、哀川氏はそこに引き抜かれる。パフォーマンスのバク転は高校時の器械体操で鍛えたものでお手の物、間違い、御足の為せる技だった。売れっ子になるや、念願だった〈社長〉になるべく独立する。順風満帆だった社長業だったが突然地獄に突き落とされる。信頼して経理を任せていた社員に裏切られ五千万もの借金を背負う事になるのだ。ストレスは相当なものだったのだろう。二度に亘って「心肺停止」状態」となる、三十四だった。百分の一の確率で手術は成功し蘇生する。臨死体験の時にみたのが「自分はおがくずの中にいるカブトムシ」だったそうだ。
その後、同郷の先輩、長渕剛に誘われて「トンボ」に出演し。役者才能が発芽、以来、Vシネマ〈注。ビデオ鑑賞映画。映画館の興行を目的としない〉に欠かせない帝王となるのである。筆者は彼の自伝コミックや「ゼブラーマン」は見たし、Vシネマの現代ヤクザも見てるが後者は余り好きではない、任侠精神が欠けているように思えるからである。私が彼を好きなのは〇カブトムシの愛好家だという事 〇ゼブラーマンなどの異色作にも全力で演技している事 〇ドッキリなどで心霊現象にマジで戦(おのの)く事などからである。心霊現象なるものに関しては、セラピストとして筆者はいつもスピリチュアルなもの、それは霊だったりもする、と接しているので、〈戦く〉にはつい親近感を持つのである。
それでは彼の元気のでる言葉を最後にします。「大事なものは気だと思いますよ。元気、本気、根気、気合いなど。気こそ本来の生命力です」。
気合いの生命力で、コロナなど吹き飛ばしたいものです。彼の芸名は「哀しい事は川に流して翔んでいこう」に由来するそうです。
さて。鹿屋の新川から大姶良に向かって、家畜市場を横に登った十字路の右手に「哀川翔グッズ店」があります。そこの隣の角にはお弁当屋さんがあります。安くておいしい同店は「フーズK」といい、立地条件は恵まれてないのに評判の高いお弁当屋さんです。おいしいと人気のクレープもテイクアウトできるので、コロナ対策には最適かもとおススメしますね。
ーー4/30南九州新聞コラム掲載