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元気の出る言葉②ーー宮城まり子


去る三月二十一日、女優宮城まりこさんが他界された。生誕日と同日で九十三才の大往生だった。戦後生まれの団塊世代の一人として、耳に焼き付いているのは彼女の歌「ガード下の靴磨き」である。切ないセリフ入りの♪赤い夕陽がガードを染めてーーおいら貧しい靴磨き 夜になっても帰れない♪の歌が大ヒットしてラジオから何度も流れたからだろう。この歌は自分を変えてくれた歌だ、と彼女は言っている。戦後の混乱期が映像化される時、決まって出てくるのは多くの戦災孤児であり、男の子は「靴磨き」、女の子は「花売り」が多い。

大隅の地に少年時代を過した筆者だが、彼ら〈戦災孤児〉の「靴磨き少年」や「花売り娘」を実際見た記憶は無い。唯一、戦争の足跡を見たのは〈傷痍軍人〉さん達である。昭和三十三年まで、盆暮れに日豊本線の列車に乗る機会があった。そこに傷病服の負傷した元兵隊さんが一人か二人で乗り込んできてアコーディオンを伴奏に軍歌を歌って生活援助金を募っていた。シベリア還りの父は、幼い私に、自分が抑留者だと言う事をその頃までは教えて呉れなかったし、傷痍軍人さんについても詳しく説明する事は無かったが、その時懸命に歌われる軍歌が切なく胸に伝わって来た記憶が何度もある。軍歌大好きだった自分が次第に軍歌から離れていったのはこのような切ない軍歌を聞いた事も遠因にあったからかも知れない、と今にして思う。

 宮城まり子さんに話を戻そう。歌手として売れっ子の彼女が恋に落ちた男性はプレイボーイ作家の吉行淳之介氏で、彼には家庭があった。俗に言う不倫で、当時は、この道ならぬ恋に世間は厳しかったそうな。二人は同居するも、吉行氏の離婚は成立せず、その後も彼は浮名を流す。余談だが、心理学ではそもそもプレイボーイの〈女好き〉とは「ミソジニー」〈女性蔑視・憎悪〉が根底にあるからだ、と指摘する学者は一人ではない事を付記しておきたい。しかし、「よその女にもてないような男に誰が惚れる」とまり子さんは、躁うつ病を抱えていた彼を支えての生活を37年続け、最期をみとっている。彼女の献身的な愛は彼の母親であるあぐりさんも認めて、感謝している。

 まり子さんで特筆すべきは「ねむの木学園」の創設だろう。1968年、静岡県掛川市に日本で初めて開設した肢体不自由児養護施設である。ネットで一部しか見てないが、74年にまり子さんが製作した「ねむの木の詩」にその理念は浮かび出ているといわれる。映像は〈障がい〉を持った子どもを「天使たち」、と称える精神で貫かれている。連れ合い、吉行氏の「人間が人間に同情するなんて失礼な事だ」〈作品。唇と歯より〉の精神が共有されているようにも思える。

 最後にまり子さんの元気のでる言葉は

「やさしくね。やさしいことは強いことなの」である。

弱者や少数者に対しての〈いじめ〉や〈ヘイト・侮蔑〉行為などは、弱い心の為せる最も醜い行為だと筆者は考えます。

ーー16日 南九州新聞コラム掲載

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