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みよちゃん①ーー実存ヒプノ十二


モモジローと差しで飲んでいるのはクリスマスの夜だ。この日にヤツが来るのは恒例になっている。半世紀前の学生運動時からの付き合いなので迎えに構えるところは何もない。

 最初だけ発泡酒で後は焼酎の、つまみはムカゴにとギンナンをレンジでチンしたものにストーブおでん。おでんの具は自家産冬野菜を連日継ぎ足している。他の食品は割引ものだけを買い、浮いた差額を幾つもの市民運動団体へカンパに廻している事を知っている彼だ、贅沢は言わない。今年の年間割引差額の合計を訊かれたので、二十万だと答えると、「去年とほぼ同じだな」と言われてカンパ先の一つ、〈ペシャワール会〉の話になった。

「ブンタロ、書かないのか、中村哲さん追悼は」と聞かれ、「書き始めたところだ、これ」と、書きかけの原稿を渡した。

 『およそ半年前、本紙でタイトル〈骨噛み〉の冒頭を、川筋の男が泣くのは生涯一度、骨噛みの時だ、と五木寛之〈青春の門〉から引用した。炭鉱産業が栄え始めた明治期に筑豊から遠賀川で運ばれた石炭、それを船に積む沖仲仕達は権蔵(ごんぞう)と呼ばれた。♪ 遠賀川土手行きゃ雁が鳴く ーー 権蔵稼業と呼ばれていても♪ との作業歌は映画〈日本侠客伝・花と龍〉の中で高倉健扮する主人公、玉井金五郎が歌っている。明治終期の若松で暴力支配下にあった沖仲仕達の為に命懸けで子頭連合組合を結成するのが金五郎だが、実話が元で、作者は金五郎の子の火野葦平である。火野は父を、川筋気質の男として描く。曲がった事が嫌いで筋を通す、困った人を放っておけない、義理人情に厚く強者にへつらわない、誠を信条とする、が父の人物像だ。金五郎の孫にな

るのが中村哲氏で、祖父と瓜二つの顔は川筋気質を引き継い

だかのようである』。

「これって小説か、ブンタロ」「いや、新聞コラムの方だ」

「そうか。原稿三枚なんだろ、どう続ける気だ」

「業績は多くのマスコミが流すだろうから、『一隅を照らす』とした彼の信条と、『アフガンへの自衛隊派遣は危険を増やすのみ』とした国会での陳述を、九条を守れの論で展開する予定」

「いいんじゃないか、それで。本業の短編創作の方はどうなんだ」

「全然進まんね。パソコンの前でため息毎日よ」

「ハナからため息という訳か」「鼻からため息? そんな芸当はできゃしないぜ」「お前、作家か、語彙(ごい)不足だね、最初からの端(はな)だ。ま、シコシコやるしかないだろがな。催眠(ヒプ)療法(ノ)の方はどうなんだ」

「ボチボチだね。小説のネタにも事欠くくらいさね」

「新技法を創ったとか言ったろ」「ああ、〈たら・れば〉ヒプノね」

「そっちはどうなんだ」「面白いのがボチボチと出て来てる」。

 そうかといった切り、モモは続けなかった。マルキストの彼だ、ヒプノへの関心は強くはない。

「女はどうなった。三人の女は」

「三人だと」、〈良く憶えていやがる〉と思いながら問い返す。

「おお。野菜を勝手に送りつけて、お返しならカラダでと脅した酒井和歌子」「連絡無し」

「二十いくつか離れた教え子の秋吉久美子」「進展無し」

「結婚は虚像の幸福だとか余計なカント論までお前がヌカしたとかの手フェチの女」「連絡無し」

「ハハハ。全滅同然じゃないか。今年も実り無しだな」

目尻をだらしなく下げて笑うモモが、ヒトの不幸の蜜をたらふく吸ってる熊ン蜂にも見えてくる。独り身のオレを案じて呉れている風ながら、愉快気な顔を見せつけられるうちに癪に障り、反撃となって出てしまった。

「実は今、女と暮らしている」「何だと、嘘だろ」

「ほんとだ。佐多の別宅に居る」

 カウンター一発で形勢は逆転し、すっかり笑顔の消えたモモを前にゆっくりとコップ酒を一口飲んで続ける。

「女が来たのは半月前さ。宮崎県は北部の町からだった。ヒプノの依頼じゃなく技法を学ばせてくれと言った。オレもそろそろ直伝の弟子を育てようと思う気があったし、タイプの女だったから引き受ける気になったのよ。遠方だし、住み込みのつもりで女も心を決めて来た」

「いくらお前が古老とは言え、男と一緒に暮らす覚悟とは随分性根の座った女だな、どんな女だ」

「強くはないさ、泣きながら身の上を話したからな」

「そうか。どんなタイプだ、好みとは。尤(もっと)も美女恐怖症とか名乗ってるお前のストライクゾーンなんて、あって無きが如しだからな。女優で言えば誰だ」「そうだな、大きな目と表情で語るところは、浅丘るり子あたりか」

「やすらぎ、のばぁちゃんか」「もっと若い」「夕陽の丘じゃないだろ」「中間だな、寅さんの頃」「いいんじゃないか。それでもお前には勿体ないくらいだな。実物を見てないから何とも言えんが」。

 鹿児島湾が時化で波を立てていた日。大きなカバンを車のトランクから出して、女は言った「ヒプノの技法を学びたいのです。何日かかろうとかまいません。教えて貰えませんか」

「簡単という訳にはいきませんよ。HPでご覧になったと思いますが、三十時間程必要です。心理学講座十時間に輪廻転生論十時間とで理論学習が二十時間、実技におよそ十時間です。その間に他の依頼も入るでしょうからひと月程はかかると思って下さい。勿論他のゲストさんへの施術を見ても貰います。ひと月ですよ。できますか」

「お願いします」、即座に戻ってきた歯切れのいい返事に、心は舞い上がりながら表情は冷静を繕(つくろ)って続けた。

「ひと月の宿泊なら単純計算で費用三十万となる訳ですが、家事手伝い等ワークをバイトとして割り引いて、十万でいかがですか」と商売顔を創って告げている。三十時間の三十万とHPには揚げていたし、他では一週間の二十万で技能習得をさせているところもあるとは知っていた。ひと月としたのは丁寧に教えたいもあったが、女がタイプだったからに他ならない。ひと月も一緒に暮らせば相性も判るだろう。青春時代の流行り言葉で言うならば同棲、生れる昔なら足入れ婚、今で言うならお試し婚か。それで体の相性まで判ったとしたら〈鴨葱〉じゃないか、と既に心中では舌なめずりを始めている。

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