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ソクラテス余聞

前回の捕逸から。①ソクラテスが着眼したアルケー(徳)について。ナイフは切れる、が徳(利点)。人なら魂を持つ、が徳である。そこで知識とはアルケー(徳)を知る事にある《知徳合一》。そして、(真の知識は必ず行動を伴う)とした《知行合一》。故に、行動を伴わない知識は真の知識とは言えないとなる。わかっちゃいるけど止められない、のは解っちゃいないのだ。そして、真の知識に基づいて行動する時に幸福というものがついてくるのだ、とした《福徳一致》。「単に生きるのでなく善く生きる事が大切」と結論づけたのです。

②彼の妻は悪妻? 妻のクサンチッペは悪妻として歴史に残る。ソフィストの詭弁術に惑わされた青年達を目覚めさせる為に彼は街に出向いた。仕事を放棄して街に繰り出す夫に妻は小言を言い続けたそうな。語らっている夫を見つけて、小言を投げつけた後に水を投げかけた事も。その時ソクラテスは「ほらね、雷の後は大雨だ」とシレっと言ったとか。青年達を真理に目覚めさせるという崇高な使命の夫の行動を理解しなかったという意味で、悪妻の評を残す事となる。夫の行動を理解しなかったが故に悪妻の印を押されるという結論はいかがだろうか。逆の見方もある。妻の小言が嫌で、ますます夫は家に帰らなくなった、と。すると、居心地のいい家庭では夫は仕事より帰宅優先となる? どう見るかによっても結論も異なってくる?

③「醜さとは、それ自体が権力への反抗である」とはソクラテスを評したニーチェの言である。ソクラテスは身なりにかまわなかったらしい。異様な風体、それは秩序というものにある種の不調和音を生じさせる。統制する者にとって面白いはずがない。よって冒頭の言葉となる。ニーチェ自身もキリスト教という大きな世界に挑み「反逆の哲学者」と言われた。

④ソクラテスの同世代に、アリストファネスという戯曲家がいた事は前項で紹介した。以下は拙作小説「実存ヒプノ①」からの引用である。

「戦争の最大の被害者は女じゃないかな、戦の間、夫や子供等愛する者を失う悲しみを味わされ続ける訳だから。そこでアテネスパルタの戦争時に女達は策を練った。戦争が続く限り子供は作らない。方法は合体拒否だ。女達で二国間同盟を結んで性的ストライキをやった。音をあげた二国の男どもは協定を結び、平和がやってくる、という話でアリストファネスの戯曲『女の平和』さ。今でも上演されているらしい。

で、次はホントに女達が平和を作った話。アイスランドという国は、軍隊を持たない国で北大西洋にある小国だが再生エネルギーの先進国で、男女平等指数も世界第一位。さて国際婦人年の一九七五年十月、その国で九十パーセントにあたる女性が家事を放棄して大集会を開いた。旧い因習を打破しようと女性達はレッドストッキングをつけた。五年後、選挙で就いた世界初の女性大統領ビグディスは、一九八六年にレイキャビク会談をしかける。そこでの、レーガン・ゴルバチョフの会談こそ米ソ対立解消の出発点となるんだ。女性主導が、国際政治を動かした見本だと思うよ」。

女性はかく強くあるべしと、持ち上げて? 終りとします。

ーー南九州新聞コラム

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