「夜回り」史観
以下は本日20日に見つけた「夜回り先生」の歴史観です。ブログから転載です。ムダンで( ´艸`)
私は、横浜の高等学校で、二十二年間社会科の教員をしていました。「現代社会」、「政治・経済」、「倫理」、「地理」、「日本史」、「世界史」と、社会科のすべての教科を、生徒たちに教えました。そんな二十二年の教員生活の中で、私は、歴史を生徒たちに教えることに、いつも苦痛を感じていました。
みなさんは、すでに歴史を学んだことがあると思います。世界征服をめざした、アレクサンダーやチンギスハンにこころ踊らせたことがあるでしょう。また、未知の世界へと船出した、コロンブスやマゼランに感動したこともあるかもしれません。しかし、アレクサンダーやチンギスハンは、その征服の過程で、どれだけ多くの罪のない人を殺戮したのでしょう。コロンブスやマゼランが、新たな地を発見することによって、勝手にヨーロッパの国々の植民地とされ、どれだけ多くの、その地にすむ人が殺戮され、奴隷とされたのでしょう。その地の銀や金、小麦などの富がどれだけ奪われたのでしょう。
これは、日本の歴史でも同じです。今年テレビでドラマ化される「麒麟がくる」は、明智光秀を中心とした、戦国の武将たちのドラマです。彼らは、多くの人を死に追いやっています。それは、何のためだったのでしょうか。その当時の人々の幸せのため、そんな風に解釈する人はいないでしょう。自分と一族の繁栄のためです。でも、今の時代なら、極悪人となるだろう人間が、何か英雄のように扱われています。
私は、歴史を教えるとき、いつも歴史上有名な人の陰に、この血の臭いと悪の香りを感じていました。歴史に名を留めることなどできなかった、多くの罪もない人たちや子どもたちの限りない哀しみを感じてきました。
私は、歴史を生徒たちに教えるとき、いつも最初の授業でこう話しました。「みなさん、私が、これから1年間教える歴史のそれぞれの事件では、多くの、歴史の中で忘れられた人たちの、涙と血が流されています。どうぞ、私が教える歴史の中に、その当時の人たちの哀しみを見てください。彼らの立場に自らをおいて、そして、その人たちの目でこころで歴史をとらえてください」
今歴史がブームになっています。歴史上の有名な人物をヒーローとして尊敬したり、その土地の町おこしに使ったりしています。私は、それに違和感を感じます。本当に評価されなくてはいけないのは、さまざまな戦争や弾圧、飢饉のなかでも、必死に家族を守り、今へとその血脈をつないだ多くの忘れられた人たちだと考えます。こんな歴史の見方も考えてみてください
橋ーー私の歴史観も似ています。違う点は「階級史観」だという事かな( ´艸`)
担当しているコラムにいつか「夜回り先生」を書きます、と予告しているので年末から四冊彼の本を再読しました。まだ書き始めてませんけど( ´艸`)