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哲学をする志・前


「あけましておめでとうございます」

 本稿を書いているのは十二月中旬で、総理主催の桜を見る会が話題となっている。森友、加計問題では「お友達優遇」という税金の私物化が問題とされ、「李下に冠を正さず」と何度も口にしてきた総理だが、桜を見る会では名目上の「各界の功労者」以外に、地元から千人近い後援者を招いて公費接待疑惑の上に、前夜祭では公選法抵触の供応疑惑に加え、私人である夫人の招待枠まであったというのだから公私混同も極まれりと言いたいのだが、公文書である名簿はとっくに処分していると発表。それもわざわざ「障害者」職員の責任とする卑劣さで。本稿が活字に成った頃にはどんな顛末になっているやら。

関電疑惑では、高浜町助役から福井県の百人を超す幹部職員が金品を授受していたとの報道が。無責任国家は一体どこに向かおうとしているのだろう。為政者こそ率先して身を正すべき、との感覚はもはやおかしいのか。

論語に次の文がある。〈政を為すに徳を以てせば,たとえば北辰のその所に居て,衆星のこれに共(むか)うが如し〉〈これを道(みちび)くに政を以てし,これを斉(ととの)うるに刑を以てすれば,民免れて恥なし。これを道くに徳を以てし,これを斉うるに礼を以てすれば,恥ありて且つ格(いた)る〉。

北辰とは北極星である。為政者が自ら道徳的行いをすれば社会秩序は自ずと安定する。逆に刑罰での統制を図れば脱法行為が横行する、と戒めたものである。

論語を初めて学んで好きになったのは高校で、漢文か倫理の授業だったように思う。倫理のA先生は、授業の傍ら、色んな本を勧めて下さった。「三太郎の日記」「愛と認識の出発」「君たちはどう生きるか」など。「三太郎」と「愛と認識」は勧められた直後の休み時間に、競って図書室に駆け込んだ記憶がある。結局は友人に遅れ、読んだのは二年後の大学入学後だった。その頃「君たちは」も読んだ。数年前、吉野源三郎原作の同漫画がベストセラーになったと知り、〈わが国はまだまだ捨てたものじゃないな〉、と意を強くしたものだ。「君たちは」は古本で見つけたら買い貯めて、若者に謹呈しようと思っている。「コペルニクス的転回」から主人公を「コペル君」にして、人生の根本を問い直す物語、つまり人生哲学のきっかけを考える話だと思うからだ。

 A先生が授業中に自身の戦時の憲兵体験を語って下さった事がある。追い詰められた脱走兵が自死した話だった。当時の私は軍国少年だったので〈軍歌なら数十曲歌える、今は歌わないが〉、話を理解できずにいた。今なら解る、戦争の愚かさ、平和の尊さを伝えたかったのだと。

本も同様である、今は理解できずとも後に解る事もある。次回は大学入学後の自分の「コペ転」そして、「哲学する事のお勧め」と続けたい。「自分の人生は生きるに価するものだろうか」を自身に問うものとする。が、人生に優劣をつける価値論で無い事は先にことわっておきます。

橋ーー本日の南九州新聞掲載の拙文です。フォトは勿論不掲載です( ´艸`)

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