アベの暴言・妄言・下
「印象操作するのはやめたほうがいいと思いますよ。何か意図を感じるんだけど。何かそういう意図を感じるな」7月3日、日本記者クラブ主催・党首討論会で
参院選時におこなわれた党首討論会で、記者からの質問に挙手で回答する方式で質問が投げかけられたときのこと。その質問とは、「女系天皇を認めてもよいと思う方」「原発の新増設は認めないという方」「選択的夫婦別姓を認めるという方」「性的マイノリティの法的な権利を与えるというのを認めるという方」という4つだったのだが、すべての質問で安倍首相は一度も手を挙げることができず、たまらず「これですね、あまりにもね、ちょっとね、単純化してショーみたいにするの、やめたほうがいいですよ」「政策的なね、政策的な議論をちゃんとしないとですね、イエスかノーかということでは政治はないですから」といちゃもんをつけ、いつものように「印象操作だ!」とキレはじめたのだ。 もちろん、これは「印象操作」でもなんでもない。選択的夫婦別姓や 性的マイノリティの権利保障という問題は「政策的な議論」ではなく、基本的人権にかかわる問題として「イエスかノーか」で姿勢を示せるものだからだ。それを、安倍自民党が多様性を認めない、基本的人権を疎かにする姿勢であることが明確になった結果、安倍首相は「印象操作だ!」「意図を感じる」などとわめき立てることしかできなかったのである。 にもかかわらず、何事もなかったかのように10月の所信表明演説では「みんなちがって、みんないい」「新しい時代の日本に求められるのは多様性であります」などと述べたのだから、その厚顔無恥っぷりには呆れ返るしかない。
「(大阪城の復元で)ひとつだけ、大きなミスを犯してしまいました。エレベーターまでつけてしまいました」6月29日、G20大阪サミット夕食会あいさつで
よりにもよってG20サミットの夕食会という場で、上機嫌な様子でこんな話をはじめる神経……。実際、この発言を受けた各国の首脳のあいだからは白けたムードが漂っていた。当たり前だろう。バリアフリーに対する意識がまったく欠如していることを「ジョーク」として露呈させてしまったのだから。 いかに安倍首相およびスピーチライターといった官邸の取り巻きたちが、社会福祉や、「すべての国民は個人として尊重される」という憲法の人権にかんする基本的原則に対する意識をもっていないかがよくわかるというものだろう。 しかも、安倍首相はこの暴言について自分から謝罪するでもなく、後日、側近である萩生田光一幹事長代行(当時)を通して「障がい者やお年寄りに不自由があってもしょうがないと聞こえるかのような発言はちょっと遺憾だった」などと“釈明代行”させたのだ。 本人が直接、謝罪や釈明せずに側近に語らせるというやり方自体どうかしているとしか言いようがないが、その台詞が「ちょっと遺憾だった」って。しかも、安倍首相はやはりまったく反省していなかった。それは、またも以下の暴言を吐いたからだ。
「担当である障がい者雇用の短時間勤務職員の勤務時間等との調整をおこなった結果、使用予定日が5月9日となったことから、その予定どおり廃棄したもの」12月2日、参院本会議
野党議員からの「桜を見る会」にかんする資料要求があった約1時間後に招待者名簿をシュレッダーにかけるという露骨な“証拠隠滅”をやってのけながら、その言い訳に「障がい者雇用だったから」などと持ち出す──。ヨーロッパなら即刻辞任もおかしくない大暴言だ。 実際、この暴言は国内のみならず、ワシントン・ポストやニューヨーク・タイムズといった海外メディアも報道。ロイター通信は安倍首相の発言に批判が集まっていることのみならず、相模原の障がい者施設連続殺傷事件や政府の障がい者雇用水増しの件と同様に障害者への態度を象徴しているという声や、安倍首相の発言は障がい者はミスをするという偏見の現れであり人を差別して見下しているという声なども紹介した。 しかも、欧米メディアは「桜を見る会」問題を“身内びいき”と批判されていることをストレートに伝え、これまでも森友・加計問題など“身内びいき”の疑惑が浮上していたことに言及。データの隠蔽や改ざんなど公文書管理を問題視し、政府が招待者リストを公開しないもの「桜を見る会」問題をごまかすためと見ている。人権意識はもちろん、公文書管理や情報公開に対する国の責任が当然認識されている国でこうした問題が起こっていれば、いまごろ安倍首相はメディアの厳しい追及に蜂の巣になっているはずだ。 だが、安倍首相はいまもそうならず、呑気に別荘でゴルフに興じている。それどころか、メディアに対して、こんな強気な態度までとっている。それが次の発言だ。
「あらためて会見するというのであれば、いま質問してください」11月16日、ぶら下がり取材で
「桜を見る会」問題に対する世論の批判の高まりを受けて、安倍首相が「異例の20分超え」で応じたぶら下がり取材。たったの20分、取材に応じることが「異例」と言われること自体が異常だが、この取材自体、開始の約10分前に急遽セットされたもの。ようするに、記者たちに準備時間を与えない姑息なものだった。そして、そこで安倍首相は「長年の慣行」というフレーズを何回も繰り返し、「前夜祭」問題についても「参加者1人5000円という会費はホテル側が設定した価格」などと強調した。 この一方的な主張に対し、記者もなんとか食い下がったが、安倍首相は「いまお話ししたとおりで……最初、聞いておられました?」「私、もう出なければなりませんので、同じような質問はちょっと避けていただきたい」とまくし立てる始末。さらには、後日に記者会見を開く予定はあるのかと尋ねられると「いま質問しろ」と迫ったのだ。 ようするに、不意打ちを狙った上、「説明責任は果たした」というアリバイづくりのために記者たちを利用したわけだが、酷いのは安倍首相だけではない。 というのも、今月27日におこなわれた安倍首相と総理番のオフレコ懇談会では、長谷川栄一首相補佐官が最初に「くれぐれも取材しないでください」と述べたことから「桜を見る会」はおろかIR汚職問題についても記者から質問は出ず、挙げ句、毎年恒例になっているという安倍首相や菅義偉官房長官との2ショット撮影会にまで記者が嬉々として参加していたというのだ(日刊ゲンダイ28日付)。ちなみに、このオフ懇を蹴ったのは、毎日と東京新聞だけだった。 問題発言をこれだけ連発していても無傷でいられるのは、メディアがこうして抱え込まれているからにほかならない。だから、安倍首相は心置きなく付け上がりつづけるのだ。
「私は総理大臣ですから、森羅万象すべて担当しておりますので」2月6日、参院予算委員会
今年、もっとも安倍首相の思い上がりを象徴する発言こそが、これだ。統計不正問題で出た特別監察委員会の報告書を読んだのかと質された際、安倍首相は「そのものは読んではおりません。私は概要について秘書官から報告を受けている」と一切悪びれずに答弁。さらには「総理大臣でございますから、森羅万象すべて担当しておりますので、あの、報告書をですね、さまざまな、これ日々様々な報告書がございますが、それをすべて精読する時間はとてもない」などと言い出したのだ。 “自分は森羅万象(宇宙のすべて)を「担当している」ので忙しいから第三者委員会の報告書は読めませんでした”って、傲慢もすぎるというものだろう。しかも、安倍首相はこの発言を口にした後も、「統計問題は国家の危機になりかねないという認識はあるか」と訊かれたとき、こう述べた。 「いま、国家の危機かどうか(と訊いた)。私が国家ですよ。総理大臣が国家の危機という、重大な発言を求めているわけでありますから、まず説明をするのが当然のことではないでしょうか」「国家の代表として」とかほかにも言い方があるだろうに、よりにもよって「私が国家」って……。安倍首相はこれまでも「我々が提出する法律についての説明はまったく正しいと思いますよ。私は総理大臣なんですから」だの「私が最高責任者」だの、自分が絶対的な権力者だと勘違いしているとしか思えない発言を連発してきたが、こうした態度こそが、力によって行政を歪め、「隠蔽、改ざん、偽装」を横行させてきた。そして、森友・加計問題や「桜を見る会」問題を生み出したのである。
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いかがだっただろう。年の瀬に思い出すだけで気分が悪くなった人もいたかもしれないが、安倍首相が狙っているのは「年またぎで国民は忘れる」ということ。だからこそ、こうした「暴言・バカ丸出し発言」をしっかり持ち越して、来年も徹底追及する必要がある。そして、こんな総理大臣が居座りつづけているという異常事態を、来年こそは一掃できることを祈りたい。
橋ーー上記論に全面賛同します