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米・アフガン攻撃の誤り


中村哲医師は正しかった。衝撃の米国アフガン記録

「自衛隊派遣は、当地の事情を考えると有害無益です」と断言した姿に感動した日      田中秀征 元経企庁長官

アフガニスタンで失敗したアメリカ 

 12月14日、NHKはアフガニスタン問題に関する極めて重要なニュースを伝えた。これを追いかける新聞報道を待っていたが、本稿執筆時まで、私が知る限り、大きく扱った新聞はない。

NHKが伝えた概要はこうである。

 アメリカの有力紙、ワシントンポストが、アフガニスタンでの軍事作戦や復興支援をついて特別監察官が政府高官から聴取した証言記録を入手して公表した。それによると、当局者の多くが作戦は失敗だったと認識していること、そして当局に不利なデータの意図的な隠蔽や改ざんが繰り返されていたことが記されているという。

 今さら何を言っているのかと腹立たしい。しかし、今さらであっても、アフガニスタンをめぐる公式記録が明らかにされたことには、さすがアメリカと敬服もした。

法治国家として恥ずかしい日本

 公式記録に対する日本とアメリカとの違いをあらためて痛感する。

思い起こすのは、2014年7月1日の集団的自衛権の行使容認の閣議決定である。国のあり方を左右する集団的自衛権の行使容認を閣議決定によって可能にしたこと自体、大きな問題だが、その閣議決定の重要な根拠とされた内閣法制局の議論を、「記録していなかった」ですませて平気でいるというのは、法治国家として実に恥ずかしいことだ。

 話を戻す。

 米下院は来年の年明けから、証言記録をまとめた特別監察官を呼んで、実態の解明に着手するという。

9・11への復讐戦だったアフガニスタン攻撃

 アフガニスタンでの軍事作戦の引き金となった、いわゆる9・11同時多発テロが起きたのは2001年9月だった。アメリカ全土に高まった“愛国心”を背景に、ブッシュ政権はそれから1カ月もたたない10月7日に、アフガニスタンへの空爆を開始した。

 テロの首班はアルカイダの指導者オサマ・ビンラディンであると断定したうえで、その彼をアフガニスタンのタリバン政権がかくまっているというのが、空爆の理由だった。

 ブッシュ大統領は当時、この戦争を「自衛戦争」であると言明した。ただ、アメリカの世論を考えると、実態は“復讐戦争”といったほうが当を得ているかもしれない。

 口が滑ったのか、ブッシュ大統領は「十字軍だ」とまで言ったが、さすがにこの表現は不適切だと周囲から指摘され、撤回された。仮に十字軍だとすれば、キリスト教徒によるイスラム教徒(ムスリム)に対する全面戦争というかたちになり、ことが重大になりすぎるからだ。

 とはいえ、撤回はしたものの、アフガニスタンへの軍隊派遣は「十字軍」であるという意識が、キリスト教福音派から強い支持を受ける大統領のホンネだと受け止める人が多かった。

自衛隊派遣は有害無益と断言した中村医師

 アメリカから有志連合に加わり、対テロ戦に協力するよう求められた日本の外務省は大いに慌てた。当時は小泉純一郎政権。4月に圧倒的な世論の支持を受けて発足してから半年であった。

そうしたなか、10月13日の衆院テロ防止特別委員会に参考人として呼ばれたNGO「ペシャワール会」の現地代表である中村哲医師が、断固とした意見を述べた。その姿をテレビのニュースで視(み)たときの感動を、私はいまも忘れない。

 アフガニスタンで飢餓に苦しむ人びとを救う活動を続けていた中村医師は、日本政府で検討されていた自衛隊派遣などのアフガニスタン支援について、こう断言した。

「自衛隊派遣が取りざたされているようですが、当地の事情を考えると有害無益です」

アフガニスタンの人びとから信頼されていた日本が…

 中村氏は、アメリカによる報復爆撃で痛めつけられる前に、その前年からの大干ばつや国土を侵食する砂漠化によって、400万人が飢餓状態にあることを強調。それまで地道にアフガニスタンの支援を続けてきた日本人が、いかに信頼されているかを力説した。「“顔の見える援助”は、日本が直接支援物資を送ってやればよろしい。別に日本人が出かけていかなくてもいい。決してあわてなくてもいい。こういう時期こそ頭を冷やして、よく実情を見て、建設的事業を日本自らの手で組織することです」

 だが、結局、日本政府は「テロ対策特別措置法」を制定(11月2日施行)。自衛隊をインド洋上に派遣し、海上阻止行動に従事する米軍などの艦船に洋上で給油することになった。アフガニスタン人から、日本はアメリカの戦争の一翼を担っているとみなされて当然だ。当時、中村医師はこの決定をどう受け止めていたのだろうか。

中村医師の行動を忘れるな

 その中村医師が12月4日、アフガニスタン・ジャララバードで銃撃されて死亡した。衆議院は9日の本会議で、出席した議員が全員起立して弔意を表したが、なんとも虚しい感じであった。

 18年前、日本はブッシュ政権の単独行動に「待った」をかけることもできたはずだ。今回、明らかになったように、実はアメリカの良識層もアフガニスタンの軍事作戦は「間違った」戦争だったと感じていたのではないかと思うからだ。

アメリカは復興支援のなかでアフガニスタンに民主主義の制度を根付かせようとしたが、成功しなかった。イラクでも同じだが、民主主義はその国の人がつくるもので、他国につくってもらってもうまくいかない。それが、“戦車”で運び込まれた民主主義であれば、なおさらのことだ。

中村医師はアフガニスタンの人びととともに、砂漠を緑豊かな農地に変えることに生涯を捧げた。彼の志と行動をアフガニスタンの人びとは決して忘れないだろう。そして、われわれ日本人もこのことを忘れなければ、武力行使をいたずらに容認するような間違いは犯さなくなるであろう。

 私はかねてからノーベル平和賞は中村医師のような人が受賞するべきだと思っていたが、それは不慮の災難を受けてかなわなくなった。これからは、彼の生涯をひとつのモデルとして、弁舌の人ではなく行動の人こそがノーベル賞を受賞することを願うばかりだーー「論座」19日より転載、

橋ーー哲氏の評価の高まりを嬉しく思います。小生の「追悼文」の南九州新聞コラムは本日掲載です

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