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志布志高校の英語の恩師


英語は極めて苦手な教科でした。有明中学で長浜先生は懸命に教えて下さったのだが、遊ぶのに懸命で、不勉強のせいである。大学入試でどうにか平均点近くまで取れるようになったのは志布志高校での二人の恩師のおかげと感謝している。

郷原六夫先生。昨年末にご他界された。鹿屋市西原でのお別れに参列させて戴いたが、鹿屋のご出身である。高三の担任をして下さった。郷原先生には毎時、授業初めに単語暗記の小テストをして貰い、おかげで英語力は伸びたような。補習にはポーの「黒猫」を用いられ、ずるくも私は図書室から翻訳本を借りて、いかにも自分で訳した如くして補習に望んでいました。鹿大の合格発表を見に行った帰り、志布志駅に就いてから有明の実家に帰る術が無かった時、偶然に駅前で先生と出逢い、食事に連れて行って貰った。その晩は先生の借家に停めて貰い、先生が独身だと初めて知ったのでした。

国語の教師資格をとる予定が、時代の流れから思想や哲学に興味を持ち、高校社会科教師を目指すようになり、在籍六年目に母校で教育実習をさせてもらいました。最後の夜に指導の西富先生に招かれた際、ご一緒して下さった六夫先生から「教員になったら酒を覚えろ、キョゥインとは強く飲む、と書くのだから」と言われたのも強い印象で、酒では負けない教師になりましたね。それだけは恩師の教えを忠実に守ってきたと自信を持っていえます。

神川栄功先生。錦江町神川のご出身、高一で指導をして貰いました。お目にかけて下さったか、授業ではよく当てられました。最初の頃、こんな事がありました。「おい、キミ答えてみよ」と指名され、「解りません」と答えて突っ立っていたところ、「そうか」と黒板に向かれた先生が後ろ向きのまま「では、次、○○答えてみよ」と私の名前を呼名されたのです。同級生が笑いだす中、「私です」と言ったら「○○はキミか」とその時、名前を憶えて貰ったようです。

教師になってK女子高で一緒になった時、先輩教師として色々教えを受けました。車免許を持たれない先生を助手席に、運転しながら話しかけていたところ、「○○君、喋らないで運転に集中しなさい」と高校時さながらのご指導を受けた事もあります。

退職の身となった今、先生と出逢えるのは年二回、大隅地区高校教職員組合の退職者交流会である。そこに集まる二十人ほどの仲間が楽しみにしているのが先生の日舞である。習われている本式流派の踊りを女装して踊られるのである。今迄に数多いレパートリーを披露して下さったのだが、オカシイのである。何が、かというと、いかつい顔の先生の女装姿が、である。「北国の春」だってシンケンな表情を間近で見るたびに笑えるのである。ところが、昨年末の「岸壁の母」は笑うどころか感じ入りましたね。観ていた仲間も同じでした、踊りの腕が上がられたのだろうか。

今年の交流会も間近になった。「ハナ」を準備しなくちゃ、と思っている。

   --南九州新聞コラム14日掲載

橋ーーこの文はひと月以上前に出稿してたものですから、英語の大学入試への民間試験導入問題を絡ませることができませんでした。

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