映画「あん」感想
ハンセン病啓発映画「あん」の話である。監督は「沙羅双樹」の河瀬直美氏、原作はラジオ「人生相談」のドリアン助川氏である。
氏は原作を書いた経緯を次のように書く。ある時、所沢市でのライブにお年寄りの男女三人が最前列にいた。終了後に聞いたらハンセン病療養所の「多磨全生園から来ました」と言う。初めて本当の元患者さん達と出会い、「療養所に遊びにいらっしゃい」と誘われて行き、そこでハンセン病の歴史などを始め、色々と教えて貰う。病について知識の殆ど無い自分が、患者さんと出会う事で差別の歴史を知る。最終的にはハンセン病も関係なく、人間って、生きている意味って、何なんだと問いかけられればいいと思った、のが著述の切っ掛けだそうだ。そして「人間回復の瞬間(とき)」【南方新社】という星塚敬愛園(鹿屋市)の入所者、上野正子さんの手記からヒントを得て彼女をモデルに「あん」を書き進めたと語る。映画化の前にも監督と主演の樹木希林さん(遺作となった)と共に全生園を訪ねている。
粗筋である。
桜の公園近くで主人公の男はどら焼き屋を営んでいる。肝心の、あんは業務用を用い、売れ行きは良くない。ある日、店に徳江(本名で無く園名である)という手の不自由な老婆が訪れ、バイトに雇ってくれと頼む。断った後、手渡された手作りのあんを舐めてその味に驚く。徳江は五十年もの間、あんを愛情をこめて煮込み続けた女だった。徳江が働くようになると美味さは評判となって大勢の客が押し寄せるようになる。だが店のオーナーが、徳江がかつてハンセン病であったとの噂を聞きつけ、男に解雇しろと迫る。噂が広まったのか客足が途絶え、察した徳江は店を辞める。素材を愛した尊敬すべき料理人である徳江を追い込んだ自分に憤り、酒に溺れる主人公。常連客の女子中学生に誘われてハンセン病隔離施設に向かう。徳江は淡々と、自分も自由に生きたかった、と思いを二人に語るのだった。
絶妙な効果音、その担当者はフランス人である。あずきの音や桜の葉擦れの音など、「言語が分からないからこそ繊細に音を作る事が出来たと思う」と監督は語り、徳江にはこういわせている。
「あんを炊いている時の私はいつも小豆の言葉に耳を澄ませているの。それは小豆が見てきた雨の日や風の日を想像することです、どんな風に吹かれて小豆がここにやってきたのか旅の話を聞いてあげること。そう、聞くんです。この世にあるものは全て言葉を持っていると私は信じています」
「私達はこの世を見る為に、聞く為に生まれて来た。だとするなら、何かになれなくても私たちには生きる意味があるの」
最後に。「人の役に立たない、と言う言葉には暴力性を感じる」と助川氏は語る。
元患者さん達には「強制手術」を強いてきた傍ら、「生産性」という語で人を見る時、思考狭窄で想像性に欠ける品格、その下劣さを言い当てていないだろうか。DVD視聴をお勧めしたい。ーー南九州新聞コラム。7日掲載
橋ーー拙い文ですが、先の「絆を読んで」と「ハンセン病問題」提起の二連作でした