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福島・今


人の命を軽んずる「東京五輪」

 2020東京オリンピック開催まで一年を切った。

 しかし、今夏の猛暑からも明らかなように、東京五輪は人命を脅かしかねない危険な「運動会」である。

 今日9月20日発売の『月刊日本 10月号』では、「酷暑・放射能 東京五輪が危ない」と題する特集を打ち出し、さまざまな識者の声を紹介している。

 今回は、その中から元南相馬市長である桜井勝延氏へのインタビューを紹介しよう。

復興を邪魔する「復興五輪」

―― 桜井さんは福島県の南相馬市長として、東日本大震災への対応や復旧復興の先頭に立ってきました。その立場から「復興五輪」をどう見ていますか。

桜井勝延氏(以下、桜井氏):五輪そのものを否定する気はありませんが、「復興五輪」は復興とは何の関係もありません。被災地から聖火ランナーが出発して、福島で野球やソフトボールの予選を行えば復興が進むのか。単なるパフォーマンスにしか見えません。

 そもそも招致委員会の竹田恒和理事長は、「福島と東京は250キロ離れている。東京は安全だ」と発言して東京五輪を招致しました。しかし、この発言は被災地の人々を「原発250キロ圏内は安全ではないのか」と悲憤させ、復興のために頑張っている人々を傷つけました。

 安倍総理も五輪招致の際、汚染水は「アンダーコントロール」だと断言しました。しかし、汚染水問題は未だに解決しておらず、最近では汚染水の海洋放出が議論されています。しかし、福島の漁業は試験操業の段階で本格操業は再開できず、復旧もできていないのです。それでもこの8年間、漁獲物の放射線量を毎回測定して、必死に福島の水産物は安全だという信用を積み上げてきたのです。この状況で汚染水の放出などされたら、福島の水産物は風評被害に晒され、8年にわたる漁業関係者の努力が打ち砕かれます。

 そもそも福島第一原発が作り出した電気は東京で使われていたものです。原発事故を起こしたのは東電なのに、なぜ福島県民ばかりが被害を受けなければならないのか、いつまで福島を犠牲にし続けるつもりなのか、海洋放出がやむをえないというならば東京湾で放出したらどうだという思いです。

 安倍総理は旧民主党政権の批判がお得意ですが、2012年に政権が自民党から民主党に変わっても復興の在り方は変わりませんでした。当時、安倍総理は「福島の復興なくして東北の復興なし、東北の復興なくして日本の再生なし」と言っていましたが、その言葉が本当に実行されているかは疑問です。

 2013年には東京五輪の開催が決定しましたが、「復興五輪」が復旧復興を遅らせた側面もあるように感じます。2013年以降、建築資材の価格が上昇して入札不調が多くなったり、技術を持つ建築業者が東京へ呼ばれて人手不足になることがありましたが、そこには五輪の影響があったと思います。

 当時、私はよく東京へ出張していましたが、都内の再開発や豊洲移転の工事現場にあるクレーンの数の方が、被災地や福島第一原発にあるクレーンの数よりも断然多かった。そういうことです。

子育て世代が戻ってきていない

―― 被災地の復興はどういう状況なのですか。

桜井氏:県や地域によってそれぞれ状況が違うので、一概には言えません。福島県内でも、浪江町津島地区のように震災後からほとんど手つかずのところもあれば、南相馬市のように活気を取り戻しつつあるところもあります。

 南相馬市について言えば、震災前の人口は約7万1500人、震災直後は約8500人まで減りましたが、現在は約5万4000人にまで回復しています。震災前と比べると、人口は1万7500人減少したということです。

 問題は、その内訳です。減少した1万7500人のうち、15~64歳の現役世代は1万3000人、0~14歳の子供世代は4500人です。また震災前は男性に比べて女性の方が3000人ほど多かったのですが、現在では女性の方が5000人ほど少なくなっています。つまり、震災後に避難した現役世代や子育て世代が帰ってきていない、特に女性と子供が戻ってきていないということです。

 その結果、南相馬市の人口構成は逆ピラミッド化が進みました。震災前と震災後で65歳以上の高齢者の人数は2万人程度で変わっていませんが、人口が減った分だけ高齢者の割合は26%から35%まで増えています。

 そのため人手不足が深刻化しています。コンビニやファーストフード店の時給は1200円、夜勤では1500円を超えるほどです。スーパーではレジ係が足りないので、セルフレジの導入がどんどん進んでいます。

人が戻れない要因。それはやはり「原発」

 確かに震災直後にゴーストタウンだった頃と比べると、南相馬の復旧復興は進んでいるように見えるかもしれません。しかし、震災前には戻っていない。復興以前に復旧ができていないのです。

 現在、南相馬市の人口は5万4000人ですが、毎年自然減で900名ずつ減っていきます。現役世代や子育て世代が戻ってこなければ、このまま人口は漸減していき、やがて衰退していくしかありません。しかし、彼らは戻ってこない。戻ってきたくても戻ってこられない。なぜか。原発事故が収束していないからです。

 福島第一原発は30~40年以内に廃炉するという約束でしたが、それが嘘だったことはもう明らかです。廃炉作業は遅れに遅れており、第一段階である使用済み核燃料の取り出しすら未だに終わっていない。廃炉は30~40年以上も先のことになるだろうと思います。

 廃炉作業や除染作業が続いているかぎり、県民は放射能と付き合い続けなければならない。南相馬に戻って生活を再建しても、廃炉作業中に事故や災害が起きれば、またその生活を捨てないといけないかもしれない。こういう事情から、故郷で生活する人が減っているのです。原発事故が復旧復興を妨げている現実があります。

被災地の実態を覆い隠す「復興五輪」

―― 東京都は五輪招致の口実に「復興五輪」を利用しただけだと思います。原発にしろ五輪にしろ、東京が福島を利用して金儲けをするという構図そのものは、震災前と震災後で何も変わっていないと言わざるをえません。

桜井氏:どれほど「復興五輪」の言葉が踊ろうとも、福島には原発事故の爪痕がまだまだ残っています。原発事故が起きなければ、現役世代や子育て世代はもっと戻ってきているはずです。しかし原発事故の影響で彼らは戻ってこられず、南相馬市は衰亡への道に向かっています。

 そのため、南相馬市では子や孫が避難して祖父母が残っている家族が少なくありません。原発事故が故郷を奪い、家族を引き裂いてバラバラにしているのです。だから、南相馬の老人たちは「子や孫と一緒に暮らすことができない」と嘆き、中でも仮設住宅に住んでいる方々は「仮設で孤独死したくない」と切実に悩んでいます。南相馬市では津波で630人が犠牲になりましたが、震災関連死では513人が亡くなりました。これは全国で最も多い数字です。

 また、南相馬市やいわき市では東電から賠償金をうけとった被災者が土地や家を購入したことで、バブル以上に地価が上がって固定資産税が上がっています。そこから、もともと住んでいた県民と新しく移り住んだ県民の間で軋轢が生まれることもあります。

 一次産業も立ち直っていない。農業や漁業、林業では放射線量を検査して一つ一つ信用を積み上げながら頑張っていますが、原発事故による風評被害に苦しんでいます。

 これで復興といえるのか。むしろ「復興五輪」という大義名分のもとで、被災地や原発事故の実態を覆い隠しているのが現状ではないか、そして「復興五輪」が終わった後には被災地や原発への関心が薄れるのではないか。これは犯罪的なことだと思います。

「何か悪いことをしたか」と安倍政権閣僚は言った

―― そもそも復旧復興とは何なのでしょうか。

桜井氏:いちばん大事なのは、「もう一度頑張ってみよう」という人の心です。土を盛って高台を作り、防潮堤を築き、復興住宅を建てても、人の心が立ち直らなければ復興は進みません。それでは「復興五輪」を機にそういう気持ちになる人が増えているか。残念ながら、そうはなっていないのです。

 最大の障害は、やはり原発です。原発事故が起きていなければ、被災地の姿は今とはまるで違ったはずです。これほど人々の生活を狂わせる原発はやめるべきです。脱原発は非現実的だという声も少なくありませんが、政治は一部の利権を守るのではなく、国民全体の幸福と安心、そして豊かな生活を守るべきものであるはずです。

 以前、私は安倍政権の閣僚に対して「あんたたちは本当にこの国を良くする気があるのか」と怒ったことがあります。その閣僚からは「俺たちが何か悪いことをやっているのか」と反発されて、非常にがっかりしました。

 いまの日本では国民が豊かに暮らすことができていないのです。被災地だけではなく、東京でも多くの人々が不安や貧困の中での生活を強いられている。一体、東京だけで一日何人が自殺しているのか。日本には素晴らしいところが沢山あるのに、こんな馬鹿げた国にしてしまって、もったいないにもほどがある。これは政治の責任です。

 いま福島が安心安全だと思っている県民はほとんどいません。それでも故郷に踏みとどまり、あるいは戻ってきた人たちが復旧復興に向けて必死に頑張っています。私たちは福島だけでなく東京をはじめとする全国でもそういう人たちを増やし、東北だけでなく日本全体を「復興」していかなければならないのだと思います。--月刊日本9月より転載

橋ーー五輪は返上!復興を最優先すべし

(聞き手・構成 杉原悠人)

【月刊日本】

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