「映画」の話です
選挙の低投票率が深刻な話題にならないのが不思議である。棄権者は為政者からみれば白紙委任に等しいから有難いのだろうが。戦後の占領時に三S政策というのがあったと聞く。「スクリーン・スポーツ観戦、セックス」に夢中にさせれば政治不満等出ようも無い筈という愚民政策であるが真偽は不明だ。戦後団塊世代として今回はスクリーンである。
テレビの無かった小学生時代、最初に見た映画は「月光仮面」だった。学校での鑑賞の続きが待ち遠しかった。中学高校時の映画鑑賞は無い。貧しかったし志布志の映画館は遠かった。一度だけ一人観に行ったのが「ローマの休日」。思いを寄せていた千美子さんが話題にしているのが聞こえて、話を合わせられるぞと秘かに観に行ったが、大人の恋愛話はさっぱり解らず、努力は実らなかった。その頃テレビでは「ライフルマン」等西部劇が全盛期だったのだが見る機会は少なく、今にして当時の西部劇を何十本もDVDで再鑑賞している。
大学時代、映画主流は東映任侠路線で、健さんの映画は殆ど観た。親分衆からの不条理に耐えて最後に殴り込みに行く決まりの展開に喝采した。そんな頃だ、最も早く結婚した友人、財部工君の披露宴で歌ったのは「網走番外地」。「春に春に結ばれし二人かな。キスしてキスしてキスぐれてどうせ二人の行く先はその場も楽しやハムネーン」とやったら新郎に笑われた「ハネムーンも知らないのか」と。〈原曲キスひけは酒飲んでの意〉。だが健さんは主流で無くなる、菅原文太氏の「仁義なき戦い」や「トラック野郎」に追いやられてしまうのだ。故に文太氏を好きになれずにいた。が晩年、彼が反原発や沖縄への社会的発言を知り、遅まきながらファンになった。今拙作短編にはモモジローの名を使っている。映画代が安くなかった学生時も話題作は観た「イージーライダー」等。旧作は「名画座」で観ていた。
教職に就き、大隅の地に定住してからも鹿児島まで見に行った。「バックツーザフィチュア」が後のトランプ大統領がモデルとは知る由もない。米国の戦争映画も多く見た。「プラトーン」や「七月四日に生まれて」等。戦争の残酷さ、平和の尊さを訴える良心的映画を作り続ける米国の凄さを知らされる。邦画にも「パッチギ」など名作は有るが。
最近はDVDでの映画鑑賞である。見逃していたアカデミー賞名画を見続けている。「男はつらいよ」も全作見終えるところだ。学生時代に義兄弟の兄貴と一緒に何作も観たのだが、ヤクザ映画と違い緊張感のない寅さんでは酔っての睡魔に勝てずいつも途中で眠り込んでいたからである。
最後に自慢を一つ。私、映画監督大林宣彦氏のサイン色紙を持っている。ある会合で出会った折、所望したものである。「映画は穏やかな一日を創る」と書かれている。会の発起人は好きな吉永小百合氏だったので彼女用に持参した色紙だったが欠席だった。色紙持参のミーハーは小生のみだったような。( ´艸`)
ーー17日。南九州新聞コラム掲載