楽器自慢
楽器自慢
私、自慢話なら幾らでもあります。病気自慢に酒の失敗自慢、貧乏自慢に、フラれた自慢等。「貧乏自慢」なら過去三人の子の借金、奨学金は一千万に近かった筈。何故に我が国は教育予算がかくも乏しい国なのでしょう、借金背負いの若者を世に放り出して明るい展望が何で開けよう。家庭を持てない、子育てもできないでは少子化対策など画餅と同じだ、との怒りはいつか書かせて貰うとして、今回は穏やかに「楽器自慢」のオハナシね。
高校までの趣味と言ったら金のかからない読書しかありませんでした。受験勉強のマネゴトしながら聞いた深夜放送で、「都会の文化」に激しく憧れを抱きましたね。高一の時ビートルズが来日、エレキ音楽にシビレマシタ。グループサウンズが出て来た一方、ベトナム反戦運動に呼応するように各地では反戦フォーク集会。「友よ」とか「戦争は知らない」とかギターを抱えて歌う仲間がカッコよかった事! そして彼らには当然の如く彼女がいるんですよ。〈楽器が出来れば彼女もできる〉との思いが生まれるのは必然でした。一九六八年、十八歳の時です。最初に手に入れたのは中古の千円のエレキで、バイト日当が八百円の時でした。次に手にしたのはミニフルート。バイト帰りに鹿児島は甲突川河畔で吹いたのは映画音楽等。うまいと思っていたのですが、汚れたバイト服の青年に声かけてくる若い女性は現れませんでした。
高校教師となり、フォークソング部の顧問になってギターを手に入れた頃、学生バイト時代に義兄弟の契りをしてくれた澄紀兄ぃが就職祝いだと愛用のクラシックギターを呉れました。初ボーナスで買ったのはエレクトーン、給料半年分程でした。自動伴奏付きのイカしたヤツで、自宅で飲むと自己流を仲間に聞かせるのが余興でした。同じ頃、トランペットも手に入れました。ニニロッソの「夜空のトランペット」に魅かれて校舎の屋上で練習しましたが、ヘタな音に近隣から苦情が出なかったのが不思議なくらい。二校目では若手教師と三人でロックバンド「ギンギラギン」を組み「ダイアナ」や「恋の片道切符」とかロックンロールを文化祭でやりました。生徒達には若干の人気があったとは思うのですが妙齢女性には縁遠いままでした。喜界島赴任後には「蛇皮線、カンカラ三線、ゴッタン」を手に入れ、島で友人にして貰った勇三兄ぃからは愛用のテナーサックスを頂戴し、今は形見として飾っています。教え子の長渕剛君のモノマネを文化祭でやったりした後、二度目の奄美で胡弓とチヂン〈小太鼓〉を手に戻ると、子供がピアノを妻が尺八を入手していました。が、退職後に演奏ボランティアでもやろうかと話したりしていた妻は鬼籍に入ってしまい夢は幻に。
そうして昨年入手したのがハワイアン用のスチールギター。ところが弾けないうちから、今夏はエアロフォンを手にしましたよ。最後に落ちをネ。楽譜が読めないのです、私。楽器の腕は推して知るべしと。
橋ーー本日12日の南九州新聞コラム掲載でした( ´艸`)