「ヘイト」とは!
韓国人ヘイトの特集を組んで大炎上した小学館発行の「週刊ポスト」。表紙では「「嫌韓」ではなく「断韓」だ 厄介な隣人にサヨウナラ 韓国なんて要らない」と断交を叫び、“目玉記事”には「「10人に1人は治療が必要」(大韓神経精神医学会)──怒りを抑制できない「韓国人という病理」」なるむき出しのヘイトスピーチを掲載した「ポスト」には、執筆作家らからも大きな批判が殺到。昨夜、小学館は自社サイト「ポストセブン」に、『週刊ポスト』編集部名義のこんな「お詫び」を掲載した。
〈週刊ポスト9月13日号掲載の特集『韓国なんて要らない!』は、混迷する日韓関係について様々な観点からシミュレーションしたものですが、多くのご意見、ご批判をいただきました。なかでも、『怒りを抑えられない「韓国人という病理」』記事に関しては、韓国で発表・報道された論文を基にしたものとはいえ、誤解を広めかねず、配慮に欠けておりました。お詫びするとともに、他のご意見と合わせ、真摯に受け止めて参ります。〉
だが、これ、本気で反省しているとはとても思えない。そもそも、今回の記事は〈誤解を広めかねず、配慮に欠け〉というようなレベルの話ではないだろう。
しかも、醜悪なのは〈韓国で発表・報道された論文を基にしたものとはいえ〉などという言い訳だ。『ポスト』が根拠にしているのは、中央日報2015年4月5日付の日本語版記事にあった〈大韓精神健康医学会がこのほど実施した調査の結果、韓国の成人の半分以上が憤怒調節に困難を感じており、10人に1人は治療が必要なほどの高危険群である〉という記述だが、精神疾患をめぐるこの程度の確率のアンケートはどこの国にもある。たとえば、公益財団法人「日本学校保健会」HPによれば、日本でも、一生の間にうつ病、不安症などにかかる人の割合は18%、5人に1人が何らかの精神疾患にかかるという研究結果もあるという。先進国では、3割を超える国も少なくない。
ところが、ポストは「10人に1人が怒りを抑制できない」という新聞報道だけをもって、“韓国人全体の病理”と決めつけ、〈日本人には理解しにくいレベルの怒りの発露は、「反日活動」でも見られる〉〈なぜ、彼らはここまで怒り続けるのか〉と、無理やりに「反日」にこじつけているのだ。これは、明らかに、意図的な差別煽動だろう。
しかも、2日の記事でも指摘したが、今回のヘイトは「週刊ポスト」編集部の問題ではなく、小学館の組織的な問題だ。なぜなら、同誌の“韓国ヘイト路線”は「ポスト」「セブン」「SAPIO」を担当する小学館の雑誌・出版編集部門の責任者・秋山修一郎常務取締役が先導しているものだからだ。
「実は、『ポスト』の編集長は“名ばかり”のようなもので、実質的に取り仕切っているのは常務の秋山さんなんです。見出しや記事のタイトルまで決めてしまうことすらある。秋山さんは『SAPIO』出身で大の韓国嫌い。『SAPIO』 はもちろん、管轄の『ポスト』、さらには『女性セブン』にまで、ことあるごとに韓国叩きをやれ、と指示を出してきた。今回の記事と同じようなヘイト発言をしょっちゅう口にしていましたしね。秋山氏と距離を置いていた編集幹部の飯田昌宏さんが『ポスト』の編集長を務めていた時期は、影響力が弱まっていたんですが、飯田さんが外れて再び、秋山さんの現場介入が激しくなった。そう思っていたら、これですからね。おそらく今回の特集も秋山さんの指示を受けたものか、編集部が秋山さんの意向を忖度したものと考えて間違いないでしょう」(小学館関係者)
週刊ポスト」のヘイトは小学館・秋山常務が指示した確信犯、過去にも多数のヘイト記事
実際、「ポスト」が“韓国ヘイト”をやったのは今回が初めてではない。この数年の目次を見ただけでも、こんなタイトルの記事がずらりと出てくる。
「だから世界から嘲笑される「嘘と捏造のOINK(オンリー・イン・コリア)国家・韓国」 何でもかんでも「ウリジナル」」(2014年3月28日) 「韓国「現代版・恨の法廷」判例集 法治の則をいとも簡単に乗り越えるトンデモ審理、仰天判決のオンパレード 親日は有罪、カネ持ちは無罪、世論が許さなければ“リンチ”もOK」(2015年12月18日) 「現地レポート 慰安婦合意“白紙”と同時に、韓国で「新・反日モニュメント計画」増殖中」(2017年8月11日) 「これは「ヘイト」ではなく「正論」である。幼稚な韓国とどう付き合えというのか? 日本と世界の「親韓派」も韓国の「反日派」さえも将来に絶望した」(2018年11月23日) 「韓国が繰り出す「嘘」「誇張」「妄想」を完全論破する「日本人の正論」50 この厄介で幼稚な隣国と付き合うために知っておくべき 外交、歴史認識、経済、政治、生活水準、文化起源…」(2019年8月09日)
「女性セブン」でも同じような企画が散見されるし、「SAPIO」ではもっと以前からもっと露骨な韓国ヘイト企画が頻繁に掲載されてきた。そして、これらのヘイト路線を先導してきたのが、秋山常務取締役なのだ。
こうした実態を考えれば、冒頭で指摘した、今回の「ポスト」のヘイト記事が小学館という出版社の問題だ、ということの意味がわかってもらえるはずだ。小学館は児童書や学習書を出版する一方で、こんなヘイト思想丸出しの人間を編集部門の責任者にまで出世させ、いまも現場介入を許しているのである。その責任は重大というほかはない。
今回、作家たちの抗議によって、形だけとはいえ「ポスト」編集部が謝罪をしたが、小学館という会社の体質を変えるためにも、この抗議の動きをさらに後押しし、広げていくべきだろう。
百田は「韓国も民衆は火病」とヘイト上塗り、門田隆将はヘイトの定義無視し「二重基準」とスリカエ
しかし、事態はまったく逆に動いている。右派メディアやネット、安倍応援団が「週刊ポスト」の韓国ヘイトを全面擁護し、さらなる差別扇動を行なっているのだ。
たとえば、3日放送の『真相深入り!虎ノ門ニュース』(DHCテレビ)では、作家の百田尚樹氏と、このところ右傾化が顕著なジャーナリスト・門田隆将氏が登場し、こうまくし立てた。
百田「これね、私も昨日買いました。読みました。全然ヘイトでもなんでもないですね。単純に、韓国のいまの政権のやり方、いまの韓国の民衆の一種の“火病”というんですかね、ちょっとヒステリックにやっている、これを淡々と批判しているだけのものですね。これが民族ヘイトと言われたらどうしょうもないですね」
門田「いや、だから日本では、この韓国への批判はヘイト(と言われる)。で日本批判、日本を貶めるのは表現の自由という二重基準がありますんで、韓国への批判は許されないという社会でありますので。だからジャーナリズム、『週刊ポスト』は一種のタブーに挑戦したわけだけれども、謝る必要なんか全然ないですよね。これに文句をつけてくる作家さんの見識というのはいかがなものかとツイッターで出させてもらいましたけど。ほんと、表現の自由を守るべき作家が何言ってんの? とびっくりしましたね」
「ポスト」のヘイトを肯定しているばかりか、「韓国の民衆は“火病”」などと、ヘイトの追い討ちをかけている百田氏には呆れるほかはないが、騙されてはならないのは、門田氏の「韓国批判はヘイトで、日本批判は表現の自由という二重基準がある」という主張だ。
これは安倍応援団やネトウヨなどがよく口にする論理だが、完全に話のすり替え、詐術だ。あらためて説明しておくが、ヘイトスピーチというのは、本人が容易には変えられない国籍、人種、民族、性的指向などの属性を一括りにして、「犯罪を犯す」だの「病気」だのとレッテル貼りをし、差別を扇動する言説を指す。韓国の政府や文在寅大統領への批判は「ヘイト」ではないし、そんな批判も受けてはいない。
しかし、「週刊ポスト」が掲載した「怒りを抑えられない「韓国人という病理」」というタイトルは、明らかに「韓国人は全員怒りを抑えられない病気を持っている」と撒き散らし、偏見と差別を呼び込むものに他ならない。
ところが、安倍応援団やネトウヨ連中は日本の政権批判、政府批判、さらには安倍首相への批判を「ヘイトスピーチだ!」などとがなりたてる一方で、韓国民族を「病気」呼ばわりする差別扇動記事を「表現の自由だ」などと主張するのである。二重基準はいったいどっちの方なのか。ようするに、こいつらは“ヘイトスピーチ”の意味を無視して、その言葉で安倍政権批判を封じ込め、差別をたれ流したいだけなのである。
ネトウヨが保育園問題の「日本死ね」とヘイト「韓国なんていらない」を同列に並べる詐術
いま、ネットでは、ネトウヨたちが「日本死ね」ツイートを持ち出し、「韓国なんていらない」とどっちがヘイトなのかと騒ぎ立て、吉田康一郎・中野区議などアンケートまでとっているが、これも同様だ。「日本死ね」は日本に住む母親が日本政府の保育園問題への無策を批判するためにとった表現であり、「韓国なんていらない」は他国や民族の否定だ。しかも、「ポスト」は比喩ではなく、“韓国人が全員病理に冒されている”かのようなヘイトをしているのだ。それをわざと同列に並べて、どちらがヘイトか、などとやるのは、悪質なすり替えでしかない。
しかし、恐ろしいのは、こうした滅茶苦茶な主張があたかも正論であるかのように広がっていることだ。「週刊ポスト」のヘイトがきっかけで、韓国への差別や偏見を助長させる報道にブレーキがかかるどころか、ヘイト正当化の動きがむき出しになりつつあるのだ。
その意味でも、今回の「週刊ポスト」をめぐる韓国ヘイト問題は、このまま放置してはならない。前述のように、韓国ヘイトは、小学館という出版社全体の問題であることはもちろん、そのほかの大手出版社もまた、むき出しの差別扇動やヘイトまがいの記事をたくさん世に放っている。そして、百田氏のような極右文化人がそれを擁護・肯定して拡散させる。こうした構造自体のグロテスクさを、わたしたちは徹底的に批判するべきだ。
本来、メディアには、政治権力が暴走したり、大衆がグロテスクな方向へ加速してしまったとき、それらを食い止めるための言論が求められる。だが今や、週刊誌やワイドショーをみても“嫌韓ネタ”一色で染まっているように、むしろメディアの方が差別や偏見を助長してしまっているのだ。あらためて、この状況に「NO」を突きつけない限り、同じことは何度でも起こるだろうーーリテラ4日より転載
橋ーー上論に全面的に賛意します