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表現の不自由展


暴力による表現封殺を許容する社会でいいのか。国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」で開催された企画展「表現の不自由展・その後」が中止に追い込まれた一件は、民主主義の土台を揺るがす大問題だ。抗議や脅迫、そして政治による介入。企画テーマの「表現の不自由」を体現する皮肉な結果になった。   ◇  ◇  ◇  この企画展には、過去に美術館から撤去されたり、変更を余儀なくされた作品が展示されていた。その中で、慰安婦を表現した「少女像」などに抗議が殺到。2日には京アニ放火事件を連想させる脅迫ファクスも送られてきた。こうした卑劣な行為をあおったのが政治家たちの言動だ。 同日に企画展を視察した名古屋市の河村たかし市長は、少女像を「反日作品だ」と断じ、「ほとんどに近い日本国民がそう思っている」と、勝手に国民の総意を任じて展示の中止を要求。「(展示会には)国のお金も入っているのに、国の主張と明らかに違う」と文句をつけた。

菅官房長官が同日の会見で「精査した上で適切に対応したい」と、展示の内容によって補助金の交付を決めるかのような発言をしたことも、騒動に拍車をかけた。 トリエンナーレ実行委員会会長の大村秀章愛知県知事と芸術監督を務める津田大介氏が協議し、3日に展示中止を決めたが、河村市長は「やめれば済む問題ではない」と展示会関係者に謝罪を要求だから呆れる。謝罪を求めるなら、その相手は、脅迫した卑劣漢の方だろう。

この暴力を許せば日本は「いつか来た道」

「河村市長は南京大虐殺を否定するなど歴史修正主義で知られる人物です。大阪市の松井一郎市長も『公金を投入しながら、我々の先祖がけだもの的に取り扱われるような展示をすることは違う』と不快感をあらわにしていましたが、彼らの考え方はあまりに封建的です。公金は首長のものでも政府のものでもない。国民すべてのもので、権力者と考え方が違う人も税金を払っているのです。表現内容を補助金支給の条件にするなら、それは憲法21条が禁じる検閲にもつながる。本来、行政が行うべきは表現規制ではなく、暴力やテロ予告から表現の自由を守ることのはずです。時の権力の方針に合わない表現が潰されてしまう社会は、民主主義国家として危機的です」(立正大名誉教授・金子勝氏=憲法)  作品を見てどう感じるかは自由だが、「不快だから撤去しろ」と政治家が圧力をかけることは絶対に許されない。表現の自由が制限されて戦争に突き進んだ反省から、日本国憲法では表現の自由に対する保障が最大限尊重されている。

「私はあなたの主張に反対だ。だが、あなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」――。18世紀フランスの哲学者、ボルテールの言葉とされるもので、表現の自由が民主主義を支える重要な人権であることを示すものだ。 「主義主張が違っても、すべての人の表現の自由を保障することは近代民主主義国家の基本なのに、違う意見を潰しにかかる不寛容さが蔓延している。とりわけ、アジア蔑視のネトウヨを権力側が扇動し、不都合な表現に攻撃を仕掛ける構図は、隣国叩きで支持を集める安倍政権に特有の問題です。表現の自由を潰しにかかる暴力を徹底糾弾しない政府では、国際社会にも示しがつきません」(金子勝氏) 暴力や権力による介入は、いったん許せばエスカレートする。そういう社会では、いつ自分が抑圧される側になるか分からないということを国民全員が考えてみる必要がある。ーー日刊ゲンダイ5日より転載 

橋ーー上論に全く賛同です

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