アッパレ!ゲゲゲの鬼太郎
毎週日曜に放送されている『ゲゲゲの鬼太郎』(フジテレビ)が一部のネトウヨから攻撃を受けている。
〈左に曲がりすぎて視聴率急落〉 〈このアニメはブサヨが作ってるの?〉 〈反日パヨクは原作者が故人であることをいいことにやりたい放題〉 〈打ち切り決定か〉
これは、6月30日放送回「地獄の四将 黒坊主の罠」で、水道民営化、アベノミクス、統計不正など、安倍政権を徹底的に風刺したからだ。
物語は、まず、水道水が汚染される描写から始まる。
ある日突然、水道から出る水が赤黒く染まり、すさまじい汚臭を放つようになるところから物語の幕は上がる。その赤黒く染まった水はどんな浄化装置を使っても綺麗にすることはできず、また、どれだけ調査しても人間たちはその原因すら解明することはできなかった。
それもそのはず。水が汚れたのは環境問題が原因ではなく、黒坊主という妖怪の仕業だったからだ。そして黒坊主は、金に強欲なねずみ男を利用してこの世を支配することを企む。
黒坊主と組んだねずみ男は赤黒い水を浄化できるビビビクリーナーという商品を開発し、月額500円でレンタルする事業を立ち上げる。汚染水を浄化できる唯一の方法はビビビクリーナーであり、商品は瞬く間に世に広がっていく。
そして人々がビビビクリーナーを手放せなくなった頃合いでねずみ男と黒坊主は月額レンタル料を500円から50万円に一気に増額。そこで社会は大混乱に陥る。
混乱を受けてねずみ男は首相官邸に呼ばれ、首相や役人と思われる人物と面会するが、そこでこんな会話がなされたのだ。
ねずみ男「うちはあくまでも民間の企業なんだ。そこにライフラインに関わる仕事を丸投げしたのはあんたたちお上でしょう。なんなら、クリーナーの代金、国が支払ってくれてもいいんですよ。なんちゃらミクスで儲かったんでしょ」 官邸側「いや。あれは都合のいいように統計のデータを操作しただけなので……」 ねずみ男「しょうがねえな。だったらひとつお願いがあるんですがね。いっぺん大臣の椅子っていうものの座り心地を試してみたい」
そして官邸はねずみ男の要求どおり、大臣のポストを約束することになる。
もちろん、最後はいつものようにねずみ男の悪だくみは頓挫するのだが、しかし、これは冒頭で指摘したように、明らかに安倍政権がやってきた水道民営化、アベノミクス、統計不正、お友だち優遇への風刺だろう。
政権の圧力や安倍応援団、ネトウヨによる攻撃で、報道番組やワイドショーまでが萎縮する中、こんな鋭い姿勢で、政権批判に踏み込んだことは、刮目に値する。
しかし、実は『ゲゲゲの鬼太郎』の社会風刺は今回が初めてではない。とくに、2018年4月から放送が始まった第6シリーズの『ゲゲゲの鬼太郎』は、パワハラ、薄給での強制労働、責任逃れに終始する政治家など、子ども向けアニメとは思えない鋭い社会風刺を盛り込んできた。
昨年の放送では太平洋戦争における日本の加害責任に踏み込み、炎上
昨年8月12日放送回では、太平洋戦争における日本の加害責任にまで踏み込んでいる。
この回では、妖気を吸って咲く「妖花」という花の真相を知るべく、第6シリーズから登場するキャラクター・中学1年生の犬山まなと鬼太郎一行で南の島に向かう場面が描かれた。
日本から遠く離れた南の島を歩いていると、突然日本語で書かれた石碑に遭遇し、犬山まなは驚く。そこでこのような会話がなされたのだ。
犬山まな「これ、日本語……。こんな遠いところに、どうして?」 目玉おやじ「これは戦没者の慰霊碑じゃよ。戦争で日本の兵隊たちがこの島で戦い、そして、大勢死んだんじゃ」 犬山まな「戦争……」 目玉おやじ「太平洋戦争。学校で習ったのではないかな?」 犬山まな「聞いたことあるけど、どうしてこんな南の島で」 鬼太郎「昔、日本は大きくなろうとした。そして、アメリカ、イギリス、フランス、いまでは仲良くしている国に戦いを挑んだんだ」 目玉おやじ「まなちゃんたちの世代には信じられんかもしれないがの」 ねずみ男「ホント、嫌な時代だったぜ」 犬山まな「アメリカと戦争してたのは知ってたけど、なんか、日本が一方的に攻められて負けたみたいに思ってた」 目玉おやじ「いや、日本も他の国に攻め入り、戦ったりしとったのじゃよ。そういう時代があったんじゃ。あれからもう70年以上。戦争の記憶も薄れつつある、か……」
安倍政権や自民党の圧力により、いまやテレビどころか、教育の現場ですらきちんと教えられなくなり始めている日本の加害責任に踏み込んだ『ゲゲゲの鬼太郎』には大きな価値がある。
今回同様、この放送回にもネトウヨから批判が殺到した。しかし、『ゲゲゲの鬼太郎』に関わるスタッフはそんな雑音に屈することはなかったということだろう。
戦争を徹底的に批判する漫画を描いてきた水木しげるの遺志を継ぐアニメ版
先に引いた匿名掲示板内のネトウヨは水木しげる没後に放送された今シリーズの『ゲゲゲの鬼太郎』に対し〈反日パヨクは原作者が故人であることをいいことにやりたい放題〉としていたが、きちんとした読者なら説明するまでのなく、こうした戦争や権力の不正に抗する姿勢こそが水木しげる漫画の核である。
水木しげるは妖怪漫画と並んで「戦争」をテーマにした漫画を何作も発表し、残虐行為そのものはもとより、軍隊内で暴力を伴ったいじめが横行するなど人間性の否定を正当化する側面も含めて、戦争を徹底的に否定した。
そういった批判精神は戦争にだけ向けられていたわけではない。過重労働を強いる社会や、発展の名の下に自然破壊を押し進める環境問題など、水木しげるは漫画を通じて人間社会のおかしさを風刺指摘し続けていた。
現在の日本社会における問題に敏感に反応し、物語を通じて批判しようとする現在の『ゲゲゲの鬼太郎』は、水木しげるの精神を確実に受け継いだアニメシリーズだといえるだろう。
とはいえ、心配なのは、こういった表現が日増しにできなくなっているという、現在のメディア状況をめぐる事実だ。
先日も、安倍政権批判に踏み込んできた数少ない番組である『上田晋也のサタデージャーナル』(TBS系)が番組改編期でもない不自然なタイミングで終了したばかりだ。
『ゲゲゲの鬼太郎』のようなフィクションに対する圧力も始まっているかもしれない。状況は厳しいだろうが、『ゲゲゲの鬼太郎』製作陣には、これからも卑劣な圧力や攻撃に負けず、ぜひ、水木しげるの遺志を表現する作品をつくり続けて欲しい。
ーーリテラ7日より転載
橋ーーさすが、水木プロ!