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外国の教科書が教える「日本」


 海外の教科書に現れる日本の姿、といっても、その内容は多岐にわたるので、ここでは主にアジアの歴史の教科書を中心に取り上げたいと思う。  日本では、第2次世界大戦というと「日本とアメリカの戦争」という見方が一般的ではないだろうか。しかし、日本はアメリカと戦う一方で、アジアの多くの国を侵略した。そうした、日本に侵略された国からすれば、第2次世界大戦とは日本が自分の国を侵略した戦争に他ならない。歴史の教科書でも、日本のそうした拡大政策が取り上げられている。

■韓国

「日帝の経済侵略は1930年代になると新しい様相を見せた。日帝は大陸侵略を画策して韓半島を兵站基地に仕立てようとした。そのため発電所や軍需工場が建設され、鉱山の開発や重化学工業の導入、発電に力が入れられた。しかしこれらすべては日帝の戦争遂行のためであり、韓半島の経済を植民地経済体制により徹底的に隷属させるためのものであった」。 (『國史』1990)

■インドネシア

「1942年3月、オランダが日本に降伏すると、民衆はいたるところで歓呼して日本軍を迎えた。日本もまたアジアの諸民族を白人の支配から解放するために進撃してきたことを宣伝し、インドネシア人は兄弟として日本と協力すべきだと主張したのである。  日本は検閲を強化し、オランダ語と英語の使用を禁止し、インドネシア語を統一語として使用させた。しかし同時に日本語の普及にもつとめた。  やがて日本の軍政は、インドネシア人の民族精神への干渉にまで及んだ。日本の天皇をマハ・デワとしてあがめさせ、その居住する東京に向かって頭を下げることを強制した」。 (中学3年生用『インドネシア史』1974)

■マレーシア

「日本は、マレー人の解放獲得への期待を裏切った。日本人はマラヤを、まるで自分たちの植民地であるかのように支配した。今度は彼らがイギリス人の座を奪ったのだ。日本人の支配はイギリスよりずっとひどかった」。 (中学2年生用『歴史の中のマレー』1988)

■フィリピン

「フィリピンの歴史における暗い時代は私たちの国を日本国が占領した時です。日本軍は、来たばかりの頃は、自分たちはフィリピン人の友達だといい、フィリピン人と日本人を結びつけるためアメリカを敵としました。彼らは、人々の食料や家財道具をはじめ、乗り物や大きな家々も取り上げました。彼らはまた、とらえた人々を拷問し、殺しました」。 (小学校4年生用『歴史』1977)

 さらに、日本がこれらの国を占領していたときの、日本軍の残虐行為についての記述も多い。

■中国

「日本侵略軍は至るところ、大規模にわが人民を殺害し、女性を侮辱し、家屋を焼き、財産を略奪した。千百万人の中国人民が殺害されたのである。日本は南京占領後、市内で平和に生活していた住民のうちある者は射撃練習の的にされ、またあるものは白兵戦の対象とされ、あるものは油をかけられて焼き殺され、あるものは生き埋めにされ、あるものは内蔵をえぐり取られた。その時、南京城は死体が縦横に交差し、瓦が山積みになり、冷たい風が吹き、人間地獄に化したのだ」。 (初中課用『中国歴史』1980、1990)

■台湾

「二十余万人に達する台湾籍の軍人・軍婦が前線に送られ、さらに少なからざる少女が異郷で淪落し慰安婦にさせられた。これらの計り知れない辛酸血涙は、みな日本の植民地統治が残した歴史の傷跡である」。 (中学生用『高級中学歴史下』2000)

■韓国

「日本は自分の国の貧しい人々を我が国に移り住まわせた。そして日本から続々と渡来する人々に土地を分けるため、土地調査事業を行って農民の土地を取り上げた。土地所有申告届けの不備に乗じて進行されなかった土地はすべて日本人によって占領され、その全面積は全土の半ばにも及び、ただ同然の値で日本人や東洋拓殖会社に譲り渡された」。 (国定中学1年生用 1977)

■シンガポール

「日本軍警察であるケンペイタイについては、恐ろしい話がたくさんある。スパイによって日本軍に通報された者はケンペイタイの建物に連れて行かれた。そこで彼らはあまりにもひどい拷問を受けたので、多くの者は自分の受けた苦しみを人に告げることなく死んでいった。最も一般的な拷問のひとつは「水責め」で、とらわれた人は寝かせられ、大量の水が鼻や口に流し込まれた」。 (中学校初級用『現代シンガポール社会経済史』1985)

■マレーシア

「憲兵隊は一般の人々にとても恐れられた組織だった。憲兵隊は疑わしい人を犯罪が立証された罪人のように扱った。罪のない人間を罪人だと自白させるため、さまざまな残酷な拷問が行われた。彼らは、手や足のツメを抜いた」。 (中学2年生用『歴史の中のマレー』1988)

 このように見てくると、アジアから見た戦争の歴史は、日本人が教科書で習う歴史とはかなり違っていることがわかる。そしてさらに、こうした国々が日本の歴史教科書について非難する理由も理解できる。

 ここで考えなくてはならないのは、歴史とは単純に過去に起こったことを学ぶだけではなく、ある国の、過去に起こったことに対する考え方や姿勢を学ぶことでもある、ということだ。つまり、日本人は日本政府が正しいと思う歴史を学び、中国人は中国政府が正しいと思う歴史を学んでいる。であれば、日本の歴史教科書と並んで、こうした海外の歴史教科書を読んでみれば、それぞれの国が歴史をどのように考えているのか学ぶことができる。歴史といえども政治と無関係ではいられないのだから、ほかの国から見た歴史を参考に、なぜそのような違いが出てくるのか考えてみると、子どもにとって物事を多面的に考えるいい練習になると思うし、ほかの国に対する理解も深まる。

 さて、ここでは主にアジアの歴史教科書を取り上げて日本の教科書との違いを見てきたが、これとは裏返しの関係が日本とアメリカの関係だ。たとえばアメリカでは、広島、長崎への原爆投下について、「日本軍の抵抗は激しく、そのまま日本本土決戦となれば、さらに数多くのアメリカ兵の犠牲が予想された。そうした犠牲を避け、戦争を早期に終結させるため、アメリカは広島と長崎に原爆を投下した。そして、戦争を終結させることができたのだ」と教えている。そこでは、原爆がどのような被害をもたらし、さらに多くの人が今なお後遺症に苦しんでいることにはほとんど言及していない。これがアメリカから見た歴史だからだ。同じ原爆投下についても、ほかの国になるとまた見方が違っている。

■西ドイツ

「当時の時間の経過を詳しく調べるとアメリカ側の公式の説明には疑問がある。投下以前に米ソとも日本の求めた降伏のための接触を無視したのである。したがってこの投下はまったく無意味な手段であった。その目的はただ新兵器の威力の実験と、他国(特にソ連)への示威のためであった」。 (『日本』1970)

■旧ソビエト連邦

「社会主義と資本主義とのふたつの世界の接点に位置する日本は、ソ連と接することでその安全が保証され、相互の経済的・文化的交流が発展する大きな可能性があるはずである。しかし逆にアメリカ帝国主義にとっては、日本の位置がソ連に対する絶好の軍事的前進基地である。そして日本にはアメリカ軍の基地が100カ所以上もある」。 (高校1年生用『諸外国の経済、および社会地理』1981)

橋ーー「ここがすごいよ日本」などと言ってる場合だろうかと考えてしまう

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