「西郷と私」--全作家陽羅義光
絶対文感【附録篇】ーー全作家HPより転載
西郷さんも、少年時代は、 「上野のお山の(銅像の)西郷さん」 であったが、父親の影響もあって歴史を盛んに勉強してからは、西郷さんなどと 呼ぶには申し訳ない、あの偉人であり巨人である、西郷隆盛である。
申し訳ないといえば、タイトルで西郷さんと私を並列にするのも失礼な話なので あるが、拙著、 『SAIGO(21世紀の西郷隆盛』 の作者としての思い出話が中心なので、ご勘弁願いたい。 最近、この本の出版元である国書刊行会さんから、 「残部が五百冊ばかりあるので再度広告を出して売りたい」 と連絡があった。 この出版社からは他に四冊出してもらっているが、まがりなりにも残部ゼロにな っているから、私としてもこの本だけ売れない理由がよく解らない。 NHKの大河ドラマ『西郷どん』は終わったばかりだし、二十年余り前に出した 本だから、いまさらと思われたが、最近になって妹がはじめてこの本を読んで、と ても感心したといわれたばかりでもあったから、素直にありがたいと思うことにし た。
この本には他の拙著とくらべても、あれこれ思い出があり、それを全部述べると きりがないほどであるから、いくつか抽出して書きたい。 まず出版の経緯であるが、〈あとがき〉に記したので詳細は省くが、毎日新聞社 さん、南日本新聞社さんからの要請のなか、国書刊行会さんに決めたことに関して は、いまはだいぶ後悔をしている。 やはり鹿児島の新聞社がよかったのではないか、との思いはいまだに消えない。
題字や帯文に関しても、吉永小百合さんから承諾を得ていたにも関わらず、編集 者の意向がつよく、丁重に断わってしまった。 それもまた後悔のひとつなのは、吉永さんの実父が鹿児島出身だということを、 吉永さんご本人の手紙で後になって知ったからでもある。 けれども、方言や内容のチェックを、鹿児島在住の作家、橋てつとさんにやって いただけたことだけはよかった。 橋さんがずいぶん買ってくれたらしいし、作者みずから書店でずいぶん買ったの に、それでも残部五百冊とは困ったものだ。 さてこの本が招いた、いくつかの幸不幸のなかで、それぞれひとつずつあげると しよう。 歴史小説と時代小説の大御所だった作家、早乙女貢氏とは長く懇意にしていた。 最初の出会いは、早乙女氏の絵の展覧会に行き、代表作『会津士魂』の愛読者だ った父へのプレゼントとして、早乙女氏の「鶴ケ城」の絵を購入したときである。 早乙女氏は大変喜んでくれて、その後は新刊が出るたびにサイン入りの御本を贈 っていただいた。 またそれから、手紙や葉書を何通もいただいた。 いろんな会でもお会いすることができ、親しく会話をさせていただいた。 早乙女氏のわるい噂(とくに女性がらみ)は私も耳にしていて、たまたま現場を 目撃したりもしていたが、私自身たたけばホコリのでる身でもあるので、早乙女氏 と私の親しい交流は途切れることがなかった。 そんな仲であったが、『SAIGO(21世紀の西郷隆盛』を送ったとたん一変 してしまった。 早乙女氏が極端な薩長嫌いであるのは、とうぜん知ってはいたが、その著書も参 考にした手前、礼儀として贈らせてもらったのである。 ともかくそれからは絶交状態にさせられてしまい、何を送っても梨の礫、会でお 会いしてもそっぽを向かれる始末であった。 こういうことは初めてではなかったから傷つきはしなかったが、しかたないと思 いつつもいつかは関係修復したいと考えてはいた。 が、そのうち早乙女氏は亡くなってしまった。 心残りと不幸な感覚が残った。 早乙女氏に冷たくされたちょうどそのころ、ある会で演出家の和田勉氏と会った。 たまたまの出会いであったが、旧知の間と周りが勘違いするほど長い時間語りあ った。 そのとき話の流れで、和田氏が、 「おれ西郷隆盛が大好きなんだ」 というので、私は後日『SAIGO(21世紀の西郷隆盛』を送った。 すると数日して、和田氏からとても長文の手紙が送られてきて、その内容を読ん だ私は正直眼を疑った。 そこには、 「大変感動したので、この本を原作に映画か演劇をやりたい」 と、情熱的な筆致で縷々と書かれてあったのである。 拙著の映画化の話はかつて他の本で三件ばかりあって、すべて実現せずに至って いたので、過度な期待はしなかったものの、和田氏の文面には感動せざるを得なか った。 だがそのあと時をおかずに、和田氏は亡くなってしまった。 驚きと悲痛な思いとがあったが、それでも幸福な一瞬を与えてくれた和田氏にい まも感謝している。 それもこれも、なんだか西郷さんが、私に与えてくれた試練なのではないか。 そんな気がしてならない、今日この頃である。
橋ーー本文の著者、全作家の陽羅理事長とは懇意にして貰っててます。感謝しつつ無断転載です( ´艸`)