「実存ヒプノ10」進行中
実存ヒプノ 10 橋 てつと
「幸せになれそうかぃ、ブン」。
モモがやってきたのはクリスマスだ。
妻を女子会とやらに送り出して飲みにくるのが奴の恒例になっている。「クリスマスを独りで過ごすのか」と揶揄してきた時には、「それこそクリスマスファシズムという資本主義害毒だぜ」と論破した事がある。
「マルキストは安易に幸せなんて使うのかい」と返すと「じゃ、言い直そう。寝たのか、手フェチ女とは」と、最初とは天地をひっくり返したような下卑た問いにしてきやがった。
「沖縄はどうだった、玉城選挙は」と、モモの持参の泡盛を酌み交わしながら訊いた。「その前にブン、さっきの質問の答えを聞いてない」。「しつこいね。進捗(しんちょく)無しだ。男性恐怖症の心を開かせるのは容易じゃない」
「体を開かせたられたら心は開く、これ唯物論の本道」「アホぬかせ。で、沖縄報告は? モモ」「九条の会の仲間が旅費カンパくれた分、精一杯やってきた」「接戦かと心配した、が、開票直後の当確には驚いたぜ。大差の勝利だったな」「沖縄の良識よ」「結果そうだったな、俺(オイ)も僅かのカンパを送付したんだが、受取団体名がミスってましたとご丁寧に領収書が二回送ってきた」「じゃが、今からが正念場よ、辺野古を止めるにはな」「そうだ。俺たちもやれるだけの支援をやろうぜ」「頼むぜ、民主主義の背後(せご)どん」「おう、お前もな、大久保どん」。
鯨飲する二人の肴は、焼いたギンナンにムカゴと鳥刺しと焼き鳥、あと冷ややっこ、と贅沢なものじゃない。学生時代は大根の刺身で呑んでいたのだから格段に〈出世〉した宴とは言えるのだが。それでも鳥は解凍食品である。俺が割引食品を買って、差額をカンパに回している事を知っているモモだ。が、注文を付けないヤツではない。
「クリスマスだろ。冷凍チキンで無く七面鳥(ターキー)で良かったんだぜ。鍋でも良かったな、すき焼き、もしくは季節の蟹鍋でも」「贅沢抜かすな、カンパに回してるの、知ってるだろ」「ああ、今年の決算は幾らだった、ブン」「締めて十八万八千」「そんなにか」「おお。だが全部をカンパしてるわけじゃない」「毎晩ビール三缶飲むんだろ。減らしたら健康にもいいし、もっとカンパできるんじゃないか」「ビール減らせと亡き妻もよく言ってた。が、空き缶は福祉作業所への資源カンパに出している。我が命削っての尊い行為だ、と妻には返していた」「ずっと割引食品だったのか」「いや(うんにゃ)、妻が生存中は生協だった。食品の安全性には気を付けてたからな」「まるっきり反対の転換って、戦後の〈逆コース〉みたいじゃないか。武力解体から再軍備へ」「旨いこと言うね、モモ。〈私は貝になりたい〉の話をした事あったよな」「ああ。散髪屋の男が徴兵された戦場で、命ぜられた捕虜殺しが戦後裁判で死刑判決を受け、呟いたのが貝になりたい、だった」「輪廻転生論者なくても共感できる内容だったろ、モモ」「そうだった」「悪政を作ってしまったら、後の祭りだ。どう地団太踏んでも遅い」「そうだ」「〈郷原(きょうげん)は徳の賊〉って知ってるか」「何だ」「論語だ。郷原つまり八方美人は仁者にあらず、と言う意味だ」「自己主張無きは駄目という意味か」「そうだ」「自己主張こそ民主主義の礎と思うがな、だろブン」「そうだ、だが日本人は和を優先して自己主張を嫌う」「その片棒を担いできたのが元教師のお前ってわけか」「それを言っちゃあオシマイよ。片棒を担がないように努めたが、力不足よ」「それにしても最近の芸能人バッシングって目に余ると思わないか」「思う。ラッシュ村本やローラ叩きだな」「辺野古建設反対を言ったローラへ政治的発言するなとかCмから下ろせは酷かった」「右叩きは無いのに、な」「ああ。芸能人は黙っとけはおかしい」「米国では逆だ。立場を表明しない者は愚か者の烙印をつけられてる」「ローラを傷だらけにするな、で行こう」
「乗ってきたね、モモ」「で、手フェチ女対策だが」「しつこいね、お前も。ボチボチだと言ってるだろ」「遅々たる歩みじゃ乳は手に入らない」「痩せてんだよ、彼女。体を見させて貰った訳じゃ無いが。食が細いのは男性恐怖症と繋がってるのやも知れん」「何だと」「肉感的(グラマラス)な身体(ボディ)を作りたくない」「なるほど」「それで言ってやったのさ『私は蟹になりたいと思いなさい』と」「蟹だと。貝じゃなく」「ああ。蟹の身はビッチリの方がみんなが喜ぶ」「一番望んでるのはブン、お前じゃねえか。良し、お前の成功を願って歌ってやろう」。
いきなり立ち上がったモモだ
「何だ、十八番の〈野ばら〉か」
「ニヒッ。年末らしく第九交響曲、歓喜の歌だ。 ♪おお(オオ)、友(フロイデ)よ こんな(ニヒッ) 歌(ジーゼ)じゃ(トォネ)ない」
歌い終わると座るや一杯流し込み
「いいか。知らんだろうから教えてやる、意味をな。シラーの原詩だ、俺たちはこんな歌なんか望んじゃいない、の出だしの意味は旧体制への復古は御免だと言ってる。旧体制(アンシャンレジーム)つまりナポレオンが壊した王政への復古だ」
それからヤツは呂律の廻らない口調で、ナポレオンからの歴史を延々と語ったのだ、この俺に。何度も元社会教師だと伝えてるのに、国語だと思い込みが直らないのは、俺が物書きだとの固定観念のなせる技か、ヤツの大脳皮質が旧くなってる事には間違いない。