梅原猛氏を追悼す
日本古代史への大胆な仮説や「森の文化」の復権を唱え、日本文化や現代文明の在り方を問い続けてきた哲学者で文化勲章受章者、国際日本文化研究センター顧問の梅原猛(うめはら・たけし)さんが12日、肺炎のため京都市の自宅で亡くなった。93歳。葬儀は近親者のみで15日に営む。後日、お別れの会を開く予定。
イデオロギーを嫌い、学問を愛した人生
<梅原猛さん評伝>終戦後、死の意味を問うた哲学にのめり込む
<梅原猛さん講演「守れ平和の伝統」>
<梅原猛さん「憲法9条に人類の理想」>
梅原猛さんの語録は以下の通り。
「脳死を死と決めつけて臓器移植をすることは著しく自然の法を曲げるものであると思う」
「移植のために太古以来の死の概念を変えようとし、それによって起こる脳死者の人権の侵害も、末期医療の放棄も、現行法との矛盾をもほとんど考慮しない」(1992年2月、毎日新聞への寄稿で)
「(九条の会の発起人に名を連ねたことについて)政治の流れがうんと右に行っているので、歯止めとして9条を守る必要があるという意思表示をしたかった。私は日本の憲法や9条には、国家絶対主義を克服する『超近代』の理想が含まれていると思う」(2004年、毎日新聞の取材に)
「(1944年12月の名古屋大空襲の経験について)私が入るはずの防空壕(ごう)に爆弾が直撃して大勢の中学生が座ったまま死にました。死骸が吹き飛ばされて屋根の鉄骨の上に引っかかっているのを見て、深く戦争を憎みました」(08年、毎日新聞の取材に)
(東京電力福島第1原発事故を受けて)「我々人類が原発なしでいかに生きていけるか、それが問われる事態になった。目をそらしてはいけない。今からでも遅くはない。むやみにエネルギーを使わない文明を考えないとあかん」(11年、毎日新聞の取材に)
「日本文化の原理は『草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)』。草も木も生きものだという人類の原初的考え方だ。人間中心の傲慢な文明が近代文明。近代哲学はその文明を基礎づけた。そんな人間中心主義を批判しないといけない。こういうことを語らねばならないと思ったのは東日本大震災後だ」(11年、毎日新聞の企画で岩村暢子さんと対談し)
「日本思想には将来の人類が必要とする原理が隠されていると考え研究を始めたが、理解するには約50年が必要だった。作家は80歳を過ぎると新しいことを書けないというが、私は90歳を過ぎても新しい研究を続けていく」(13年、愛知県碧南市での講演会で)
--毎日新聞1/14より転載
橋ーー九条の会発起人の一人がまた霊山へと旅立たれました。
微小な人間ですが私は彼の思想「九条を守れ」を受け継いでいきたいと誓い
ます。合掌