高齢者終末医療カット」の古市憲壽の無知
古市憲寿は「文学界を毎号読んでいる人を想定したから誤解を生んだ」
今回の議論のさなかに、無自覚ぶりと悪あがきを見せつけたのはもちろん、古市憲寿も同様だ。 そもそも、対談で問題視された部分の核心は古市のこのセリフだった。
〈財務省の友だちと、社会保障費について細かく検討したことがあるんだけど、別に高齢者の医療費を全部削る必要はないらしい。お金がかかっているのは終末期医療、特に最後の一ヶ月。だから、高齢者に「十年早く死んでくれ」と言うわけじゃなくて、「最後の一ヶ月間の延命治療はやめませんか?」と提案すればいい。胃ろうを作ったり、ベットでただ眠ったり、その一ヶ月は必要ないんじゃないですか、と。順番を追って説明すれば大したことない話のはずなんだけど、なかなか話が前に進まない〉
しかし、本サイトでも説明したように、この古市発言の前提にある「お金がかかっているのは終末期医療、特に最後の一ヶ月」は、何年も前から専門家によって否定されてきた論だ。たとえば、日本福祉大学の二木立・前学長が死亡前医療費についての検証をおこなっているのだが、様々な論拠を示しながら「とりたてて高額でも、医療費増加の要因でもない」としている(「日本医事新報」2013年3月9日号「深層を読む・真相を解く(21)」)。 また、田近栄治・一橋大学名誉教授らによる「死亡前12か月の高齢者の医療と介護」(田近栄治、菊池潤「季刊社会保障研究」2011年12月刊行所収)という論文によれば、多くのケースで1日当たり医療費は入院開始月がもっとも高く、死亡当月にかけて1日当たり医療費が大きく上昇する傾向はほとんど見られないという。ほかにも、いまこの点について医療関係者や医療ライターが続々と反論していることは前述したとおりだ。
つまり、古市が「財務省の友だちと、社会保障費について細かく検討した」と言って持ち出した前提が、そもそもペテンなのである。ところが、この間違いをほぼ全面的に認めた落合とは違って、古市は6日11時現在、いまだに撤回も謝罪もしていない。
それどころか、3日に荻上チキとTwitter上で議論した際には、〈財務省の友だちとの議論を引き合いに出した「終末期医療」の根拠や、自身の発言が「優生思想」と評されていることへの応答を、まずはください〉などと追及する荻上に対して、古市は〈今さらですが、優生思想は遺伝形質や血統の改良を指して用いられるのが一般的だと思うので、ここではあえてその言葉を用いる必要はなかったのかなと思います。もちろん趣旨は理解していますが〉などと応答。極めて狭義の定義を一般的などと強弁しているが、優生思想に関する認識が甘すぎるだろう。優生思想への誘惑にこれほどゆるい問題意識の人間が、社会保障や安楽死などの議論をしているとは(しかも政策決定にも影響し得る立場で)、空恐ろしい。
さらに、古市はこんなツイートもしていた。
〈『文學界』の対談が誤解を生んでしまったのは、想定読者を『文學界』を毎号読んでいる人だとしたからかも。僕の過去の作品を読んだという前提で話していました。そして通りがいいと考え「お金の話」ばかりをしたら逆効果だった。1点目とつながる話で、そこだけ焦点化されると思わなかった。〉
ようは『文學界』を毎号読んでいる人ならわかってくれたはず、というのだ。どこまで上から目線なのかと笑うしかないが、古市は最後まで「誤解」で通そうというこということらしい。
だが、それでも、落合が撤回と謝罪を表明したいまとなっては、早晩、古市もなんらかの公式なリアクションをせねばならないだろう。古市と落合は財務省や官僚、政治家からどんなレクチャーをされたのか、公開すべきだ いったい古市がどういう対応をするのかはよくわからないが、すでに反省の姿勢を示した落合も含め、ぜひふたりに言っておきたいことがある。それは、謝罪と撤回に加えて、この“終末期医療カット論”を財務省からどのようにレクチャーされたのか、ということを詳しく説明してほしい、ということだ。
前回の記事でも指摘したが、「終末期治療のムダ」「高齢者の最後の1ヶ月に金がかかる」という嘘は財務省がしきりに振りまいてきたものだ。
財務省は2007年、実際に古市説のもとになったような「一年間にかかる終末期医療費=約9000億円」なる資料を公表。調査実態が不詳で金額だけを出したことから、高齢者医療費カットのためのミスリードだと批判を浴びている。また、2013年には麻生太郎財務相が政府の社会保障制度改革国民会議で、余命わずかな高齢者の終末期の医療費について「死にたいと思っても生きられる。政府の金で(高額医療を)やっていると思うと寝覚めが悪い。さっさと死ねるようにしてもらうなど、いろいろと考えないと解決しない」などと発言、批判を浴びて撤回した。
前述の二木氏の論文は麻生発言の際に書かれたものだが、その二木氏は研究上は〈終末期医療費をめぐる論争には決着がついた〉にもかかわらず、〈政治的には同じ誤りが何度も蒸し返されると、麻生発言を通じて、改めて感じました〉と感想を述べている。古市と落合の今回のいきさつをみていると、財務省はあいかわらずこのペテンに満ちたデータを「政治的に蒸し返し」続けているということだろう。
しかも、財務省が悪質なのは、データの歪曲だけではなく、財政危機への対処について、あらかじめ社会保障のカットしか選択肢はない、というミスリードをしていることだ(これは消費増税でも同じロジックが使われている)。
しかし、社会保障のカットは経済を冷え込ませ、逆に財政悪化をもたらす危険性は多くの経済学者が指摘している。そして、累進課税や相続税の強化、法人税の増税、富裕税の新設など、格差の是正が財政危機解決と経済活性化につながるというのは、トマ・ピケティやジョセフ・E・スティグリッツ、ポール・クルーグマンなど、世界的な権威の経済学者も主張していることだ(古市・落合の信者たちが今回の批判に対して、『だったら対案を出せ』と叫んでいるが、いくらでも対案はある。彼らは、あらかじめ自民党政権の支持層に都合の悪い選択肢を省かれてアジェンダセッティングされていることに気づかない、自分たちの愚かさを自覚するべきだろう)。
そういう意味では、今回の古市憲寿、落合陽一による対談問題の本質は、ふたりが間違ったことだけにあるわけではない。財務省がいまなお、こうしたインチキな世論誘導をおこなっているということにある。
だから古市には、その「友だち」との「検証作業」を、落合には「議員さんや官僚の方々とよく話している」その中身を明らかにしてほしい。それが、言論人としての責任というものだろう。それこそが、〈多様な人にとって暮らしやすい社会を実現したい〉(落合)という望みを叶えるとにつながるはずだ。リテラ1/6日
橋ーーリテラ論に全面的賛成です