日ロ交渉の嘘
再び〝動き出した〟と報じられる北方領土問題。だが、2016年に山口県で行われた安倍・プーチン会談の失敗の原因が、外務省の極秘マニュアル「日米地位協定の考え方」内の記述にあったことをいち早く指摘したノンフィクション作家の矢部宏治氏が、新著『知ってはいけない2 日本の主権はこうして失われた』(講談社現代新書)で明らかにした新事実により、来年行われる「二島返還交渉」も必ず失敗すると断言する。
再交渉は選挙目当ての「やるやる」詐欺
今月1日、ブエノスアイレスで行われた安倍首相とロシアのプーチン大統領の首脳会談は、なんと通算で24回目という異例の回数に達したそうだ。そしてそこでは「二島返還」を基礎とした、平和条約締結に向けた交渉の加速が確認され、すでに決定している来年1月の安倍首相のロシア訪問と、6月のプーチン大統領の来日についても言及があったのだという。
この動きについて、ただ一方的に悪口を言うつもりはない。永遠に不可能な「四島返還」から、日ソ共同宣言(1956年)に明記された「二島返還」に議論のベースが戻ったことは喜ぶべきことだからだ。この機会を捉えてなんとか話を動かそうと、多くの関係者が努力していることも事実だろう。
しかしそれでも現状では、二島返還も絶対にありえないのである。だからプーチンが来年6月に来日しても、「平和条約の締結」や「北方領土返還」というお題目は、その直後に行われる参議院選挙もしくは衆参同日選挙のための「やるやる詐欺」に終わることが確実だ。
なぜなら、現在「首相周辺」が述べているロシアとの再交渉のシナリオには、あまりに稚拙なウソが含まれているからである。
プーチンのような人物が、日本の「首相周辺」が考える明白なウソにだまされる可能性は100%ない。うまくあしらいながら、また巨額の経済協力だけを手にすることだろう。逆に選挙直前に、誤った情報でだまされるのは日本国民の方だ。
だからそうならないよう、いま私はこの記事でフェアな事実をみなさんにお伝えしようとしているのである。
経済協力を食い逃げされるだけ
そもそも、たった2年前のことを思い出してほしい。いまとまったく同じ光景が、より大規模にくり広げられていたではないか。
2016年12月15日、安倍首相の地元である山口県の老舗旅館にプーチン大統領がやってきて、歴史的な日本とロシアの合意が行われるらしい。そのとき戦後日本に残された最大の懸案である北方領土問題は大きく解決の方向へ動きだし、安倍首相は歴史に残る大宰相としての評価を不動のものにするだろう……。あまりにバカバカしくて詳しくはウォッチしていなかったが、だいたいそんなところだったのではなかったか。
しかし結果はまったくのゼロ回答。経済協力だけを、ただ食い逃げされて終わった。私が『知ってはいけない 隠された日本支配の構造』(講談社現代新書)の「はじめに」(ウェブ立ち読みで無料公開中)で書いたように、同年11月上旬に、モスクワを訪れた元外務次官の谷内(やち)正太郎・国家安全保障局長からロシア側に対して、「返還された島に米軍基地を置かないという約束はできない」という基本方針が伝えられた時点で、事実上、交渉は終了していたからである。
そしてその基本方針は、なにも谷内氏が独自に考えた見解ではなく、1973年に外務省の条約局とアメリカ局(北米局)が共同で作成した高級官僚向けの極秘マニュアル「日米地位協定の考え方」のなかに、次のように明記されていたものだった。
まず大前提として、アメリカは日本国内のどんな場所についても、施設〔基地〕や区域の提供を求める権利を持っている。そしてその提供については日本政府の同意を必要とするが、日本側がその必要性について判断することは事実上困難であるため、日本側がどうしても提供できない具体的な理由がない限り、アメリカ側の提供要求に応じないケースは想定されていない。
したがって、〈「返還後の北方領土には、米軍の施設〔基地〕や区域を設けない」との取り決めをあらかじめソ連と結ぶことは、安保条約・地位協定上、問題がある〉(一部要約)と、はっきり書かれているのである。
まさに〝子どもだまし〟の理屈
ここまでは、昨年まで述べていたことのおさらいだ。問題はここから先である。
報道によれば、「首相周辺はこの文書〔「日米地位協定の考え方」〕を改めて分析し、「当時の外務省職員の個人的見解」と判断。ロシアとの間で「二島に米軍は置かない」と確認することは同条約上も可能と結論付け、首相や谷内氏ら複数のルートで日本側の考えを〔ロシア側に〕伝達した」という(「朝日新聞」2018年11月16日/下線筆者)。
当時、条約局条約課の担当事務官として、「日米地位協定の考え方」を執筆した丹波實(みのる)氏(その後、北米局安保課長、欧州局ソ連課長、条約局長、ロシア大使などを歴任)が、2年前に死去しているのをいいことに、この文書は対ソ強硬派だった丹波氏が勝手に書いたもので、外務省としての見解でもなければ、アメリカとの間でなにか具体的な取り決めがあったわけでもない。そのことをプーチンに伝えたので、これから日本とロシアは再び北方領土返還(今度は二島)と平和条約の締結に向けて、大きく動き出すことになるだろう、というのである。
こんな〝子どもだまし〟の理屈をプーチンが信じるはずがない。
先ほどの下線部分を見てほしい。すべて日本側が「そう思った」というだけで、肝心の米軍側との合意をうかがわせる記述がどこにもない。私が『知ってはいけない』と『知ってはいけない2』で証明したように、戦後日本とは、韓国を唯一の対米従属の友人とする、朝鮮戦争のなかから生まれた軍事主権のない従属国家である。
朝鮮半島問題が文在寅と金正恩の意向だけでは何も決まらないように、北方領土問題もトランプの合意がなければなにも決まらないのだ。
だからこそプーチンは、北方領土を日本に引き渡した場合に、米軍がそこに展開しないよう、安倍首相に「トランプ大統領との間で、公式な文書によって合意し、確約するよう求めている」のである(同年11月14日/「テレ朝NEWS」他)。
思えばこれは、主権国家に対して、これ以上ないほど失礼な要求だといえる。世界の独立国で、外国軍の行動に自国の判断だけでストップをかけられない国など、どこにも存在しないからだ(そう、日本と韓国以外には)。
だからそのためにプーチンは、あらかじめ正当な手順を踏んでいる。「ロシアから返還された区域には米軍を展開させない」という約束など、日本政府が絶対にアメリカと結べないことを知っているからこそ、今年の9月にウラジオストックで「年末までに、すべての前提条件なしで平和条約を締結しよう」、つまり「すべて現状のままで平和条約を結ぼう」と語ったわけである。
それが、日本が主権国家として面子をつぶさずに平和条約を結ぶ唯一の方法と、よくわかったうえでの提案だったのだ。それを安倍首相が正式に拒否するというプロセスを踏んだうえで、「じゃあそれがいやなら、軍事主権をもっているアメリカと正式な文書で合意してこい」と要求したわけだ。
実際はロシアがこの要求を出した時点で、今回の交渉も終了したといってよい。絶対にそのような合意文書は作れないからだ。プーチンはそのあたりの事情も全部わかったうえで、当面「話を合わせる演技」をしてくれるだろう。その見返りが再び「巨額の経済協力」となるからだ。
ノーベル平和賞受賞が招いた悲劇
そもそも、このロシアとの交渉で焦点になっている「日米地位協定の考え方」という極秘マニュアルは、いったいどういう性格の文書なのか。ここは最新の研究の部分なので、よく聞いていただきたい。
ひとことでいうとこれは、最近はすっかり有名になった「米軍と日本の官僚との密室での協議機関」である、日米合同委員会における秘密合意をまとめたマニュアルなのである。
ではなぜそんなマニュアルが、安保改定から13年もたった1973年(4月)に書かれることになったのか。その背景には以前も触れたことのある、戦後の外務省の最大の恥部である「空母ミッドウェイの横須賀・母港化」という重大事件が関係している。
そもそもの始まりは、1960年の安保改定で岸首相が結んだ「事前協議密約」だった。これはABCDの4項目からなり、AとCが「日本の国土の自由使用」、BとDが「日本の基地から国外への自由出撃」についての密約だった(詳細はこちら)。
そしてその矛盾が頂点に達したのが、それから9年後、2度目の外務大臣に就任した大平をターゲットに米軍がしかけてきた、「核爆撃機を多数搭載した空母ミッドウェイの横須賀・母港化」計画だったのである。
これは実質的に「外国軍の小規模の核攻撃基地を自国の領土内に設置する」ことを意味したので、1973年10月にミッドウェイの横須賀・母港化が実現した時点で、外務省がそれまで「日本の国是」としてきた非核三原則は、完全に崩壊することになったのである。
ところがなんと翌1974年、その実際は完全に崩壊している非核三原則を理由として、佐藤栄作首相がノーベル平和賞を受賞してしまうのである。
このいかなる論理的説明も絶対に不可能な究極の矛盾、その内実をアメリカ側からリークされたら「日本外交」が一巻の終わりになってしまう恥ずべき出来事をきっかけに、その後、日本の外務省は対米交渉能力を失い、ただただ米軍の要求に従っていくしかないという完全従属状態に陥っていくことになる。
どうずれば戻ってくるのか?
そしてここからが問題の「日米地位協定の考え方」の話だ。
「空母ミッドウェイの横須賀・母港化」の要求が、アメリカ側から大平外務大臣に突きつけられたのは、田中(角栄)内閣が誕生した翌月、1972年8月にハワイで行われた田中・ニクソンの首脳会談でのことだった。
そして以後、この難問中の難問の処理を任されることになったのが、ハワイでの首脳会談を駐米公使としてアテンドし、その直後にアメリカ局長(北米局長)に横すべりで就任した大河原良雄氏(その後、駐米大使)である。
「日米地位協定の考え方」という極秘文書は、この大河原・アメリカ局長の強い関与のもと、外務省条約局とアメリカ局の共同作成文書として、条約課長・安保課長の承認をへて翌1973年4月に完成し、関係部局で共有されたものだった。
加えて注目すべきは、執筆を担当した丹波氏の上司である上記の「条約課長」とは、その後、条約局長、北米局長、事務次官、駐米大使を歴任し、現在でも戦後の外務省で条約畑の最高権威とされる栗山尚一(たかかず)氏だったということだ。
だからこの「日米地位協定の考え方」に書かれた内容が、担当執筆官の偏った個人的見解であるなどということは、絶対にありえないのである。
さらに話は続く。われわれ日米安保問題を手がけている人間にとって、大河原良雄氏がもっとも記憶されるべきは、「大河原答弁」と呼ばれる1973年7月の国会での発言である。それは、その3ヵ月前に完成していた「日米地位協定の考え方」と強く連動する形で、
「米軍には原則として、日本の国内法が適用される」
という、それまで外務省がなんとかぎりぎり維持してきた見解を退け、
「米軍には、日本の国内法は適用されない」
という米軍側の主張を、公式に認めたはじめてのものとなった。
それ以来、岸が1960年に結んだ米軍による「日本の国土の自由使用」と「国外への自由出撃」という2種類の密約の内容が、外務省内でも公然と認められるようになり、かつて朝鮮戦争の中から生まれた「旧安保条約+行政協定」という米軍の治外法権的な特権が、「新安保条約+地位協定」という新しい条文によってすべて継承されることが、法的・政治的に確定してしまった。
そのなかで「核爆撃機を多数搭載した空母ミッドウェイの横須賀・母港化」と「佐藤首相のノーベル平和賞受賞」という究極の矛盾もまた、うやむやにされていったのだった。
こうしたきわめて従属的かつ非論理的な構造を改め、日本国民自身の手に軍事上の主権を取り戻さない限り、日本が自らの判断で他国と領土問題や平和条約について交渉することなど、絶対に不可能なのである。
橋ーーよって、河野外相の昨日の記者会見がモゴモゴ と答えられないのは明白だ。我が国に主権が無いからである