北方領土交渉
北方領土問題を含む平和条約締結交渉に向け、安倍首相とロシアのプーチン大統領が1日、アルゼンチンのブエノスアイレスで会談。「平和条約締結後に歯舞、色丹両島を日本に引き渡す、と明記した1956年の日ソ共同宣言を基礎に交渉を加速させる」とした11月のシンガポールでの首脳合意を踏まえ、今後、河野太郎、ラブロフ両外相を責任者として協議を本格化させるという。これを受け、日本メディアの報道では「北方領土問題進展」や「2島返還先行」「2島返還+α」などの論調が目立つようになったが、こうした報道や日本政府の姿勢に対し、「日本の対ロ認識は甘すぎる」と警鐘を鳴らしているのが、新潟県立大学教授の袴田茂樹氏だ。ロシア専門家の目に北方領土問題はどう映っているのか。 ■「プーチンの考え方は6年前から変わっていない」 ――安倍首相とプーチン大統領が「56年宣言」を基礎に北方領土問題を協議することで合意したと報じられました。ロシア側、とりわけプーチン大統領は北方領土問題に対して強硬姿勢を貫いてきましたが、対応の変化があったのでしょうか。
プーチン大統領の近年の考え方は、ほとんど変わっていません。彼は以前から「56年宣言」を認めると言っています。首相だった2012年3月1日にロシアで開いた会見でも、日本や欧州メディアの記者に対し、「『56年宣言』が日本の国会、旧ソ連の最高会議でも批准された唯一の条約だ」と発言しています。 ――プーチン大統領の姿勢は6年前と同じ。 そうです。そして、12年にロシアの公式サイトに掲載されたプーチン発言はこうです。「国後、択捉は交渉の対象外」「『56年宣言』には引き渡し後の主権がどちらの国のものとなるのか、どういう条件で引き渡すかについても書いていない」と。 ――11月の日ロ首脳会談後にロシア側が出した声明と同じですね。つまり、北方領土交渉は何ら「進展」していない。それなのに、なぜ、すぐにでも2島返還が実現するかのような論調があるのでしょうか。
12年の時、日本メディアは(プーチン発言の)「ヒキワケ」「妥協」といった言葉に焦点を当て、「北方領土決着にプーチン氏意欲」などという言葉を使い、あたかもロシア側が譲歩したかのごとく報じていました。私はすぐに「日経ビジネスオンライン」で、プーチン発言の詳細を紹介し、日本の報道は一方的で、北方領土問題や平和条約に対するロシアの態度は日本側が思うほど甘くはない。はるかに厳しいと書きました。 ――今回も、歯舞、色丹の返還は既定路線で、平和条約締結後の交渉次第では国後、択捉もあり得るのではないか、との見方がありますね。 「2島返還先行」や「2島返還+α」を主張する人たちは、まずは2島が返還されれば、2島周辺の200カイリの排他的経済水域が日本のものになるので、日本の漁業にとっていいこと、などと説明しています。しかし、それはロシアが日本に主権を引き渡すことが前提ですが、プーチン大統領はそのような発言を全くしていません。「2島返還先行」「2島返還+α」を主張している人たちは、ロシア側の思惑やプーチン大統領の考えをリアルに把握していない。単なる日本側の期待や思い込み、幻想をベースにした一方的な解釈と言っていい。大体、平和条約締結というのは戦後処理が最終的に終わったことを意味します。条約締結後に領土交渉はあり得ません。
――幻想に世論が引っ張られている。 ロシア側は「『56年宣言』には、引き渡した後の主権については書かれておらず、引き渡しは返還ではない」と明確に主張しています。2島返還後もロシアが主権を保有し続ける可能性があるのです。しかし、日本メディアは、「56年宣言」のロシア側理解がプーチン大統領によって根本的に変えられていることを報じないまま世論調査しているわけで、調査結果は正確さを欠いていると言わざるを得ません
――プーチン大統領の本音をどう捉えていますか。 彼は、どういう条件で引き渡すかは「56年宣言」に書いていないと言っていますが、実際には明確に書いてあります。「平和条約締結後に歯舞、色丹を日本に引き渡す」と。つまり、条件は平和条約締結で、それ以外の条件は何もありません。当時の日ソ両国は当然、主権を日本側に引き渡すと考えていたわけですが、彼は独自の解釈を打ち出し、日本に主権を渡さないばかりか、引き渡しそのものについても難色を示している。そして「『56年宣言』は解釈が複雑で、話し合いも長期間かかる」と言い始めました。まるで今、私は解決するつもりはありません、といわんばかりの態度です。 ■領土交渉は焦るほど立場が弱くなるだけ ――プーチン大統領は交渉加速どころか、2島返還の意思すらない。
言葉の上で合意したといっても、プーチン大統領に加速の姿勢は一切、感じられません。相変わらず厳しい態度で、発言内容も考え抜かれています。彼が「領土交渉を一切やるつもりはない」と断言したら、日本はすぐにロシアとの経済協力の交渉を打ち切るでしょう。しかし、中国と経済問題を抱えるロシアは、対中交渉のためには日本カードが必要と考えている。だから、「交渉は簡単ではない」という言葉でごまかし、日本側に期待を持たせている。問題解決に関心を持っているとのポーズを取りつつ、本質的な部分は何も譲歩していないのです。 ――それでもロシアはブエノスアイレス会談で、協議担当の責任者にラブロフ外相、交渉役の大統領特別代表ににモルグロフ外務次官を据える人事を決めました。 ラブロフ外相、モルグロフ外務次官ともに強硬派で知られた人物。プーチン大統領の指示を忠実に実行し、交渉をロシアペースで進めるための人選でしかないでしょう。
――ロシアが主張する「引き渡しは返還ではない」「主権は渡さない」というのはどういう意味なのでしょうか。 日本に経済開発権や住民の居住権を与えたとしても、ロシア領であることは変わりない、という意味ですから、そうなると、2島周辺の排他的経済水域もロシアの水域という主張でしょう。そして「引き渡し」さえも無条件ではないとなると、賃貸(租借)その他の条件をつけることを示唆していることにもなる。あるいは管轄権は与えるから、インフラ整備はしっかりやってほしい。でも、主権はロシアが持ち続ける、かもしれません。 ――日ロ首脳会談では「56年宣言を基礎にする」となりましたが、日本がこれまで一貫して主張してきたのは、93年に細川首相とエリツィン大統領が署名した「4島の帰属問題を解決して平和条約を締結する」という「東京宣言」の立場です。「56年宣言」と整合性が取れませんね
そうです。安倍首相や菅官房長官は「日本政府は従来の方針と変わらない」と繰り返しています。従来の日本政府の方針は「東京宣言」であり、「56年宣言」は「国後、択捉は交渉の対象外」というのがロシア側の理解ですから、両宣言の交渉対象の島の数はまったく異なる。従来の基本方針を守ると言いながら、「56年宣言を基礎に」というのは意味が分かりません。 ――プーチン大統領は01年の「イルクーツク声明」や、03年の「日露行動計画」で、「東京宣言」を認めていました。いつから考えが変わったのですか。 彼が態度を変えたのは05年9月です。国営テレビで初めて「第2次大戦の結果、南クリル(北方4島)はロシア領となり、国際法的にも認められている」と発言した。完全に歴史を修正したのです。 ――日本国内では「東京宣言」は強硬論で、そのために北方領土問題が進展してこなかったという意見もあります。
「東京宣言」は強硬論ではありません。4島の帰属先は何も書かれていないからです。原理原則から言えば、4島は歴史的にも法的にも日本の領土です。しかし、原理原則論でロシアと向き合えば、交渉のテーブルに着くはずがありません。ロシアを交渉のテーブルに着かせるため、近年の日本政府は4島一括返還という文言を一切使っていないのです。日本側が強硬論で押し通してきたわけではなく、ロシア側が強硬姿勢に変わったのです。 ――あらためて日本はロシアと、どう向き合うべきだと思いますか。 かつて日本は対ロ政策で「政経不可分」(北方領土問題の話し合いが進展しなければ、経済関係も進めない)と言う時代もありましたが、その後、80年代末に「拡大均衡」(領土交渉と経済協力を均衡を取りながらともに前進させる)という考え方になりました。私は「拡大均衡」という形でバランスを取りながら協議していくべきだと考えています。領土問題を2~3年で解決するのは不可能です。香港は英国から中国に返還されるまで99年間もかかったのです。期限を切り、焦るほど交渉の立場が弱くなるだけです。
(聞き手=遠山嘉之/日刊ゲンダイ)12/10より転載 ▽はかまだ・しげき 1944年大阪府生まれ。東大文学部卒。モスクワ大大学院修了、東大大学院国際関係論博士課程単位取得後退学。青山学院大国際政治経済学部教授、モスクワ大客員教授、プリンストン大客員研究員などを経て現職。青山学院大名誉教授、安全保障問題研究会会長。
橋ーーアベの「やってるふり」にだまさりてはなりません
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