秋篠宮・「大嘗祭発言」
安倍官邸が努めて沈静化を図ろうとしていることで、事態の衝撃度が分かるというものだ。 11月30日、53歳の誕生日を迎えた秋篠宮の記者会見での異例の発言に波紋が広がっている。天皇の代替わりに伴う皇室行事「大嘗祭」について、「宗教色が強いものを国費で賄うことが適当かどうか」と異議を唱えたのだ。「宗教行事と憲法との関係」という政教分離にも言及、天皇家の私費にあたる「内廷会計で行うべき」と断言した。 発言の矛先は宮内庁長官にも向かい、こうした考えを長官らに伝えたが、「聞く耳を持たなかった」とまで踏み込んだのだから穏やかではない。 7世紀から続く大嘗祭は、新たに即位した天皇が1代に1度限り行う儀式。1990年の前回も国費から22億5000万円が支出され、「政教分離に反する」という批判があった。政府は今回も、儀式に宗教的性格があると認めつつも、「極めて重要な伝統的皇位継承儀式で公的性格がある」として前回を踏襲し、異論を振り切ってきた。そこへ当事者である皇室の、それも皇位継承順位1位の「皇嗣」になる秋篠宮から疑問を投げかけられたのだから、政府に激震が走るわけである。西村官房副長官は会見で、「あくまでも殿下ご自身のお考え。何らかの対応を取ることは考えていない」と静観の構えを見せ、菅官房長官も衆院の内閣委員会で、「憲法の定める国民主権や政教分離の趣旨に反するものではない」と、火消しに躍起だった。■
戦後憲法の価値観を大事にする天皇家 だが、水面下では賛否が渦巻いている。政権与党は、「前回の大嘗祭も裁判で合憲判決が下されている」「禁じられている政治的発言と受け取られかねない」と秋篠宮をとがめるような態度だ。野党は「宮内庁と官邸は皇室と意思疎通ができているのか」などと政権批判である。「国体論 菊と星条旗」の著者・京都精華大専任講師の白井聡氏(政治学)はこう話す。「秋篠宮の指摘は正論です。法律的な位置づけとして、占領期の神道指令以来、国家神道は廃止されたのですから、天皇が神道の神官として何かを執り行う際は、天皇家のプライベートな行事という扱いにするのが筋であって、国家予算で賄うのはおかしい。これまでそこが曖昧にされてきたが、正すべきではないかと言っているわけです。国家神道ときっぱり手を切り、戦後憲法の価値観を大事にすることにこそ、戦後の天皇制が進むべき道がある、という考えは今上天皇や皇太子、秋篠宮ら息子たちの固い信念なのでしょう。加えて、国家主義的傾向の目立つ今の日本の政治において、皇室の権威の利用は絶対に許さないという意思表示でもあると思います
確かに、明治維新150年や東京五輪など、国威発揚によって政権浮揚につながるものなら何でも利用するのが安倍政権だ。当然、皇室も政治利用の対象だろう。 「わが輩は保守本流である」という著書がある元参院議員の平野貞夫氏もこう言う。 「秋篠宮には天皇制を縮小したいという気持ちが根っこにあるのではないか。それが今の憲法にも合致していますしね。天皇家が神格化されることへの抵抗感も強く、大嘗祭を大袈裟なものにされたくないという思いがある。国民的な人気のある天皇家を戦前回帰の国家をつくることに利用されたくない、という思いもあるでしょう。『政治的発言で問題だ』という声がありますが、私はそうは思いません。率直に自分の考えをおっしゃるのは、これからの皇室の姿だと思います。もっとも、発言の趣旨は天皇家一族の気持ちを代表してのものだと思いますが」
あらわになってきた現政権と皇室の対立関係
白井聡氏も平野貞夫氏も口を揃えて、「安倍首相は保守政治家ではない」と言った。安倍はかつて共著本に〈保守というのは現在・未来と同時に、過去に対しても、責任をもつような生き方〉と記した上で、こうも書いている。 <私が保守主義に傾いていったというのは、スタートは「保守主義」そのものに魅かれたというよりも、むしろ「進歩派」「革新」と呼ばれた人達のうさん臭さに反発したということでしかなかったわけです> つまり、深い思想信条があるわけではなく、空っぽなのである。だから、9条破壊の改憲に突き進もうとするのも、敬愛する祖父・岸信介が成し遂げられなかった悲願を成就させるという個人的願望と自らのレガシーづくりだ。支援団体である右派組織「日本会議」の意向にも沿う。 そのくせ「日本を取り戻す」と叫びながら、やっていることは対米隷属を加速させることばかり。日米地位協定の改定さえ口に出せず、逆に、トランプ大統領に言われるがままにバカ高い兵器を爆買いして、傀儡政権の色合いを強めているのだから、お話にならない。
敗戦相手の米国にはペコペコするのに、アジア諸国に対する加害責任や植民地支配への謝罪の言葉は拒否。安保法を制定し、日本を米国と一緒に戦争のできる国にしたのが安倍だ。 一方、平和憲法を大切にして、毎年、終戦の日に必ず「深い反省」を口にし、激戦地を巡る慰霊の旅を続けたのが今上天皇だ。そうした姿を安倍はホンネでは苦々しく思ってきたのだろう。 ■お祝いムード醸成に卑しい思惑 「安倍政権は『皇室に何も言わせない』という姿勢が露骨です。今上天皇の生前退位の意向表明の際には、宮内庁長官への報復人事を行いました。その後、『天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議』を設置しましたが、天皇はお言葉で『公務軽減では解決にならない』と言っていたのですから、この名称は当て付けに見えます。さらに、そこに日本会議系の人を呼んで天皇批判をさせた。現政権と皇室が対立関係にあることは隠しようがありません」(白井聡氏=前出)
天皇の生前退位には、天皇を「人」ではなく「神」としておきたい日本会議など右派が反発。激怒した安倍政権は、宮内庁人事に介入した。天皇の「お気持ち」表明を許した当時の風岡典之長官を時季外れの人事で飛ばし、現在の山本長官を次長から昇格させたのだ。さらには、次長の後任に警察庁出身の西村泰彦内閣危機管理監を送り込んだのだった。 秋篠宮が誕生日の会見で、山本長官について「聞く耳を持たなかった」と厳しかったのは、宮内庁が皇室ではなく、官邸を向いて仕事をしていることへの当てこすりではなかったか。 これが、安倍エセ保守政権の正体なのである。 来年5月の新天皇即位に伴い、安倍政権は年明けからお祝いムードを醸成していくのだろう。新元号が発表され、ゴールデンウイークは儀式が目白押し。1年限りの10連休も決まっている。そのまま、大阪で開催するG20になだれ込み、高い内閣支持率を維持して参院選勝利にも結び付けたい。
皇位継承の一連行事を華美にするのは、シンパの右派への配慮だけでなく、卑しい思惑も見え隠れする。 そうした政権のうさんくささや、それにだまされる国民に冷や水を浴びせたのが、今回の秋篠宮発言だったわけだ。天皇の政治利用に対し、保守層から「不届き」の声が上がらないのは摩訶不思議である。 日刊ゲンダイ12/1より転載