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朝鮮人徴用工判決で考えた 二論


以下の二論を書きました

鹿屋市営墓地には身元不明の朝鮮人が眠っている。大戦中海軍特攻基地建設に服務し帰国する事なく亡くなった十二柱の御霊である。身元不明とは一体何なのか。さて韓国人徴用工裁判で韓国最高裁は日本企業に賠償金支払いの判決を出した。政府は日韓請求権協定に反する判決と批判声明を出し、社説でも法治国家として国家間の約束事を守れとしたが頷けない。理由は「同協定で放棄されたのは国家が持つ外交保護権であり、個人の請求権は消滅していない」と九十一、二年の国会答弁にある如く政府は同立場を保持していたからである。憲法で保障されている人権が条約で反古にされて言い訳がなく、当然だ。ましてや同協定締結時に、賠償の語を嫌い経済協力による供与としたのは日本政府なのだ。国連人権委でも九十六、八年に個人の請求権に関しては日本政府に法的責任があるとした特別報告がある。個人が企業を訴えた裁判に政府が口出すのは、外交保護権の再持ち出しである。三権分立の民主主義国家なら、司法権の独立性を行政府が尊重すべきは当然だ。駐留米軍を巡る砂川裁判なるものがあった。一審で米軍の戦力は九条違反との判決が出た後、米圧力と政府の依頼を受けた最高裁田中長官は事前に米側に一審判決破棄を約束、統治行為論なる判断放棄をした。違憲立法審査権はその時死滅したと考える。

②韓国最高裁の判決が出た時、本紙の旧い記事と二人の人物が脳裏に浮かんだ。一人は永野力男氏(故人)である。鹿屋市にある戦時身元不明の朝鮮人十数柱碑の慰霊に三十年近く奉仕されていた方である。青年期まで過ごした福岡の炭鉱町での朝鮮人労働者への虐待を目にして、戦後帰郷後に「償い」の気持ちから始めたという話は一九九一年八月に本紙北本論説委員長により「終わりなき旅路」の連載の中で紹介されている。遺骨を故国に還してあげたいとの思いを果たせぬまま逝去の二千年九月、ひろば欄に韓国からの追悼文が載る。「日本の良心に感謝」と氏を称えたのは柳乗熙(リュウジョンヒ)(存命)氏である。二人に面識はない。が柳氏もまた戦中に飯塚炭鉱に徴用され、死の恐怖から同炭鉱を脱走、逃走後に着いた鹿屋の海軍基地労働に従事した経歴がある。戦後帰国を果たした柳氏が、帰郷を果たせぬ同胞の慰霊の為に来鹿したのは二千八年五月で、鹿屋市営墓地で献花し慰霊した様子が本紙掲載となった。柳氏は永野氏の慰霊にも出向いている。「殴り殺され、穴に放り込まれる人を何人もみた」と語っていた永野氏、徴用逃走者柳氏は「賠償金問題は解決済み」とする日本政府の声を穏やかに聴けるだろうか

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