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沢田研二をも断固支持する


 沢田研二が10月17日に予定されていたさいたまスーパーアリーナでのコンサートを開演直前になって「契約上の問題が発生したため」として急きょ公演中止とした件が波紋を呼んでいる。

 18日には沢田研二本人が記者らの取材に応じ、観客の不入りや、客席の一部がつぶされていたことなどから、自分自身で中止を判断したと語った。

 この決断に対して外野からは「自分勝手」「会場まで行ったファンが可哀想」などといった非難の声が出ているが、実際のファンはそんなことはないようだ。

 たとえば、実際にその日のライブを見る予定で、さいたまスーパーアリーナにも足を運んでいたダイアモンド☆ユカイは『ビビット』(TBS)で電話取材に応じ、「その人それぞれの考え方だし、沢田さんって何でも自分で決める立ち位置にいまいるじゃない? だから、すごく大変だと思うんだよね。すごく正直に謝罪しているじゃないですか。あんな正直に語れる人っていうのは素敵じゃない。これは子どもっぽいとか色々あるかもしれないけど、そういう人がだいぶ世の中にいなくなってきているからさ、貴重な人だと思いますよ」と、公演中止の件にも、その後の沢田研二の対応にも、ファンとして理解を示した。

 沢田研二のファンからしてみれば、今回のような出来事は珍しいことでもなんでもなく、今回の騒動にも「沢田研二らしい」といった反応をする人がほとんどだ。なぜならば、沢田研二とは自らの信念に誇りをもち、プライドを投げ捨てたりは決してしない歌手だからだ。

 たとえば、「女性セブン」(小学館)2015年2月19日号には、その年の1月に東京国際フォーラムで行われていたコンサート中にファンから野次が飛び、それに対して「黙っとれ! 誰かの意見を聞きたいんじゃない。嫌なら帰れ!」と返したと伝えられている。そのときの野次とは、沢田研二がイスラム国(IS)の人質問題に対して言及しているMCの最中に「歌って〜」という声が飛んだというものであるらしい。

 今回のさいたまスーパーアリーナ公演のキャンセルに関しては、沢田研二が脱原発のための署名を行っており、その運動をめぐって施設側と揉めたのではないかという説がツイッターで流布された。結果的に、その情報はデマだったわけだが、しかし、沢田研二が署名活動をはじめ脱原発に関わる活動を積極的に行っているというのは事実だ。

 大江健三郎、坂本龍一、瀬戸内寂聴などが呼びかけ人となっている「さよなら原発1000万人アクション」の署名用紙をコンサート会場に置いたり、2012年には“脱原発”を掲げて立候補した山本太郎の応援演説に立ち、JR荻窪駅の前で「誰にも頼まれてないんですが、9条を守ろうっていう歌とか、3.11の歌とか勝手に書いて歌っております」「いま選挙に出ている人は“国難”とか言っていますが、原発を止めること自体が大事なんです。それをしない限りは始まらない」とスピーチしたこともある。

 それどころか、ここ最近の沢田研二の音楽活動に「憲法9条」や「反原発」は切っても切り離せない密接な関係がある。

 2012年以降、沢田研二は毎年3月11日に作品を出し続けているが、そのなかには必ず、被災地の人々に寄り添う歌や、原発問題を棚上げにしようとする日本政府への怒りを歌った楽曲が収録されているのだ。

沢田研二が歌う、原発再稼働批判、憲法9条への思い

 たとえば、2015年に発表された「こっちの水苦いぞ」では〈誰のための等閑な再稼働 桜島と川内断層 安全言わない原子力委員長 福島の廃炉想う〉と直接的な憤りを歌のなかに込め、また、2016年発表の「犀か象」では〈全て忘れ犀か象 五年経ったか犀か象/人の手に負えない犀か象…………地震多発も犀か象 舌の根乾き犀か象/神をも畏れない犀か象〉と、一見するとなんのことを歌っているかわからないが、声に出して読めば意味が理解できる皮肉の効いた表現でプロテストソングを歌っている。

 沢田研二が自分の表現のなかにプロテストの要素を入れ始めたのは、2008年に憲法9条への祈りを込めた「我が窮状」を発表したときからだ。

〈麗しの国 日本に生まれ誇りも感じているが/忌まわしい時代に 遡るのは賢明じゃない/英霊の涙に変えて 授かった宝だ/この窮状 救うために 声なき声よ集え〉 〈我が窮状 守れないなら 真の平和ありえない〉

 このとき、沢田研二は60歳。還暦を祝うコンサートを東京ドームで行うなど勢力的な活動を行っていたが、その一方で考えていたことは、還暦という大台に乗った歌手として、聴衆に発信すべきものとは何か?ということだ。

 2012年3月8日付け毎日新聞のインタビューで沢田研二は「結局何が一番大事なのかとなった時、思った。売れる売れないはもう違う。やっぱり『あいつはちゃんと考えている』と思われないと応援する気にならないよな」と語っているが、そこで歌うことにしたのが「我が窮状」であり、それが後の脱原発を歌う一連の楽曲群につながっていく。

 もちろん、こういった楽曲を歌うことや、脱原発に関わる運動に参加することに対し、「テレビに出られなくなるよ」などといった脅しをかけながら、ミュージシャンとしてのキャリアを自壊させかねない行為であるとして心配す

る声もあったという。

沢田研二「こんな年齢になったから、ちゃんと言っていかないと」

 しかし、そういったおせっかいには耳を貸さなかった。前掲の毎日新聞のインタビューで沢田研二はこのように語っている。

「9条も含めて、売れている頃は、そういうことは考えないようにしていました。考えて何かしようとしても、きっと周囲が止めると分かっていたから。でも、こんな年齢になったから、ちゃんと言っていかないと恥ずかしいよね。集会やデモの先頭に立って、ではないけど。だって自分に無理のない方法でやらないとしんどいでしょう」

 先の発言で述べている通り、沢田研二だって最初からこのような自由を手に入れたわけではない。2012年5月4日付け朝日新聞のインタビューでは「華麗なジュリー、セクシーなジュリーに似合わないことは、言えなかった」とも語っており、その抑圧を打ち破るのは簡単なことではなかったと明かしている。

 ただ、同インタビューで沢田研二は「18歳でこの世界に入り、いつまでもアイドルじゃないだろ。昔はジュリー、今はジジイ。太ったっていいじゃない」と開き直ってもいる。その姿は清々しい。

「音楽に政治を持ち込むな」などというバカげた意見が跋扈する現在の音楽業界において、沢田研二のようなアティテュードを貫くことができるミュージシャンはあまりにも貴重だ。

 沢田研二は端からワイドショーの意見など耳を傾ける気はないだろうか、どうかこのままの姿勢で歌い続けてほしいし、若手ミュージシャンもこの気骨ある態度を受け継いでほしいと思うのである。ーーりてら19日より転載

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